台風が通り抜けて、また暑くなりそうだ。空は再び青く晴れ上がり、強い日差しが照りつけ、気温が上がるだろう。
小学校から大学までは、夏休みがあった。海に行く、山に行く。旅をする。休みの最後に苦しむ学校の宿題を除けば、夏はいいことばかりだった。
小学生時代は毎年、広島の伯父伯母の家で一夏過ごした。夏休みに入って数日後、両親が私と妹を東京駅まで送ってくれる。夕刻発車する寝台特急「あさかぜ」に乗車し、二等寝台下段指定席に座らせられる。母から細かい注意を受けているうちに、発車のベルが鳴る。父と母はホームに降りる。ベルが鳴りやむと、寝台特急は一瞬ゴトンと揺れ、ゆっくりと動き出す。両親の姿が遠ざかる。列車がホームを離れる。暮れかけた夏の夕方、特急列車は有楽町、新橋、品川と通過し、西へ走る。街のネオンがきらめく。
両親にしてみれば、暑い夏のあいだ子供を広島に送り出し、自分たちだけでのんびりしたかったのだろう。しかし小学校低学年の私と妹にとって、二人だけの長距離列車の旅は年に一度の大冒険であって、文句はなかった。母が用意してくれた弁当を開いて、夕食を済ませる。一つの寝台を二人で分け合い、興奮と列車の揺れでなかなか寝付けないまま、いつしかまどろむ。翌朝目が覚める頃、「あさかぜ」はすでに山陽本線の西条付近を走っていた。八本松から瀬野への急こう配を下り、ようやく起き出した広島の市街地に入って伯父伯母の待つ広島駅の一番線に滑り込む。毎年本当の夏が、こうして始まった。
それから約40年経って、大学の教員になった。また夏休みがあると大いに楽しみにしていたのに、ここ数年長い休みがまったく取れない。とりたてて楽しいことのない夏、週末家にいるともっぱらベッドやソファーに寝転がり、何もしない。週末にも片付けねばならない仕事は山ほどあるけれど、疲れたらやらない。やらなければ疲れない。締切が迫っていなければ、おかしら日記も書かない。
高齢になるまで政治家として文筆家画家として活躍をし続けたウィンストン・チャーチル、成功の秘密は何かと人に尋ねられ、即座に答えたそうだ。「エネルギーを無駄に使わないこと。座っていられるなら立たない。横になれるなら座らない」。だからチャーチルは、若いときから貴婦人が部屋に入ってきても立たなかった。しばしば深夜まで働いたけれど、何も予定がないと午前中ベッドから一度も出なかったという。何と賢明なことか。私もできるかぎり働かないぞ。
そもそも忙しくしていると、余裕がなくなる。チャーチルはユーモアに富んだ人物であったが、そのユーモアはきっとさぼっているときの余裕から生まれたのだろう。魅力のある人はあくせくしない。そしておもしろい。
昔、外務省にある局長がいた。この人面倒くさがり屋で、国会の答弁資料が厚すぎて読み切れないから、ちり紙くらいの大きさの紙にまとめてくれという。部下が苦労して小さな用紙に必要な情報を要点だけ記し、手渡した。数日後、この部下が省内のトイレに入ったら、件の局長が屈みこんでゴミ箱をあさっている。どうしたのか尋ねたら、きまり悪そうに答えていわく。「例の答弁用資料だが、ちり紙と間違えて鼻をかんで捨ててしまったんだよ」
同じ局長さん、ある日外出する際、秘書さんに一言頼みごとをしながら部屋を飛び出した。「君、僕の口座から20万ドル下ろしておいてくれたまえ」。え、20万ドル?その場にいた数人がびっくりしているうちに、数秒後、局長駆け戻り、「すまない、今の件だが、20万円の間違いだった」と言って、また姿を消した。
どちらも後年えらくなった元部下から聞いた。
若いころ、ある高名な作家と一緒に航空自衛隊の基地を見学したことがある。戦闘機や輸送機を見たあと、基地内で昼食をごちそうになった。基地司令官と作家が向き合い、会話をしながら食事する。私はおまけだから、だまって食べるだけ。会話が弾んできたころで、高名な作家は司令官に視線を向けたまま醤油のビンを取り上げ、漬物にかけた。ところがそれ、実はソースだったのである。横にいた私はすぐ気づいたけれど、話が続いているし一瞬のことで、注意しそこなった。作家先生は司令官の言葉に深くうなずきながら、ソースがかかった漬物を一切れ箸でつまむと、ご飯と一緒に口に入れた。そして、その表情はまったく、何にも、これっぽちも、変わらなかったのである。
次はSFCの話。私の研究会では、アメリカ合衆国憲法の判例を学生諸君と一緒に読んでいる。ある日、「この判決には3つの争点がある。1つ目と2つ目は今説明したとおりだけれど、3つ目は何だと思う。じゃあ、Tさん」。突然当てられたTさん、ええっという顔で私の方を見て、「先生、なぜそんなこと訊くんですか?趣味ですか?」
また別のある日、研究会の面々で合宿をしたときのこと。私のおんぼろ車に学生を数人乗せて避暑地を走っていたら、助手席に座っているRさんの足元に、備え付けの携帯消火器が外れて転がった。それを手にとって検分したRさん、私に向かってこう言った。「先生、この消火器、賞味期限が過ぎてますよ」
TさんRさん、共にもう卒業しているけれど、当時も今も大物である。
最後に、あるアメリカ大統領の話。大恐慌の前、1920年代の半ばに、カルビン・クーリッジというアメリカ大統領がいた。この人、ものぐさで有名で、大統領のくせに午後は仕事をしない。ホワイトハウスで昼寝をしていたと言われる。また社交の場で口数が少ないのでも有名で、「沈黙のカル」と呼ばれた。あるパーティーの席で、隣に座った女流作家が、「大統領、私、友人と賭けをしたんです。もし大統領に3言以上言わせたら、私の勝ち」。それを聞いた大統領、にやっと笑い、「君の負け」。あとは何にも云わなかった。
暑さの厳しい休日の午後、何にもしないで寝転がり、こんな話を思い出して一人でにやにやしているのも、まあそれなりに楽しい。何もしない夏がこうして過ぎていく。
(掲載日:2011/07/22)