この歳になると、最後の晩餐に何を食べるのかを考えるときがある。病院のベッドで点滴をつながれ、天井を見ながら人生を終えるのだけは御免であり、誰しも最後に旨いものを食べてこの世におさらばしたいと思うはずである。
昔、テレビで、何人かのタレントに「あなたの最後の晩餐は?」とインタビューしたものを観たことがある。少し紹介すると、プロレスラーのジャイアント馬場は何と「大福餅」をあげたのである。その理由はというと、「お正月だけは誰にも遠慮せずに、あんころ餅をたらふく食べられたから」という。彼は新潟県の生まれであり、彼の幼き日を思うとあれだけの身体を支える食事を用意するのは並大抵ではなく、遠慮しながらの食事であったろうと想像できる。
そういえば、私の母も小さい頃にお正月の歌があったと、「お正月は良いものだ~。木端のようなチチ(新巻鮭のこと)食べて、雪のようなママ(お米)食べて~」と教えてくれたのを思い出す。貧しい農村に育った母にとっても、お正月は魚とお米が食べられる特別な日であったようだ。
さて、私の最後の晩餐はと考えたら、やはり郷土料理である「しもつかれ」(私の地元では、しもつかりとよんでいた)になってしまった。この料理は毎年、2月の初午の日に新巻鮭の頭、節分で撒いた大豆の残りに大根・人参その他の余り物を目の粗い大根おろし器でおろして、酒粕と共に煮込んだものであり、独特の味と外見から「これが料理か」と感じる人も多いはずである。
しかし、「しもつかれを7軒食べ歩くと病気にならない」という俗言があり、隣近所のおばあさんがこの時期になると我が家のしもつかりを食べに来たのを懐かしく思い出す。さすがにこうした風習はすたれてしまい、近年は地元のスーパーで既製品が市販されているという。
もともと家庭料理であり、その意味で手前味噌と一緒である。この頃に帰省すると、いつも「しもつかりは残ってない?」と母に催促したものである。先日の帰省の際、兄嫁に「どうして調味料を一切使わないのか」を尋ねたら、「水で洗ってもとれないくらい鮭の頭に沢山塩が入っているので、いらない」と教えてもらった。北関東の山奥まで鮭を届けるには、相当に塩を強くしたのであろう。それゆえにこうした調理法による郷土料理が生まれたのかもしれない。
残念ながら(当然というか)、兄嫁の作った「しもつかり」は母の味ではなかったが、お正月のあんころ餅を大福餅に変えたジャイアント馬場のように、私もおかわりするほど喜んでおいしく食べたのである。こだわりの逸品もこうして考えると、決して料理自体ではなく思い出を食べていることに気づく。
そういえばヨーロッパの人たちと食事を共にすると、会話が延々と続いてうんざりすることがある。おいしいフランス料理も出会った人たちの思い出作りのための道具にすぎないのだろう。むしろ、料理とはそもそも思い出になるように母は子どもたちのために心を込めて作ったのが始まりである。
おふくろの味を超えるこだわりの逸品がないことは果たして不幸なのか、幸せなのか、結論は最後の晩餐に出るはずだ。
(掲載日:2012/04/19)