もうすぐ4月、就職や進学などで新たな社会に踏み出そうとしている皆さん、初めての学び舎で期待に胸ふくらませている皆さん、春学期からの学生生活にあれこれプランを練っている皆さん、それぞれの皆さんにとって良いスタートとなることを祈っています。
私たちは、一人では生きていくことができず、自分は意識していなくても家族や友人など多くの人に支えられている。同時に、友人同士で励ましたり、慰めたり、人を支えることも大事にしている。
この支えるとは、どういうことなのだろうか。この意味を、福澤諭吉の『学問のすすめ』第14編にある「世話の字の義」から読み解いてみよう。
福澤は、「世話」には2つの意味があると言う。1つは保護、もうひとつは命令で、この両方の意味があることが重要で、しかも両方バランスよくあることが、真に「世話」することになると述べている。
保護とは、人をそばで見守っていて護り、財物を与えたり、その人のために時間を費やしたり、その人が利益や面目を失わないようにすることである。
命令とは、その人のために考えて、その人の身に便利と思うことを指図し、逆にためにならないことに意見をし、心の丈を尽くして忠告すること、と説明している。
すなわち、命令とは一方的に相手に物言いするのかと思ったら、そうではなく、相手の立場に立ち、心から思いを込めて忠告するのである。
道楽息子にお金を与え続けるのは、保護ばかりで命令がない世話の姿である。また子どもに十分な衣食を与えないのは、命令が濃く保護の面が薄い姿である。「世話」においては、保護と命令の偏りがあってはならず、両方がぴたりと一致して同じように配分されている必要があるというのである。
保護にしても命令にしても、常に相手の立場に立ってなされる、ということが肝心であり、相手を大切に思うが故に、時には嫌われても意見すべきことは勇気を持って行う、ということである。
とても含蓄のあることばで、人が人を「世話」することの真髄を説いていて、看護の立場からみても、看護とは何かを知る手がかりが得られる。
私たちは、人から世話を受け、人を世話して生きていく。「世話」という言葉に含まれる保護と命令の意味をよくとらえ、自身よい世話ができるように、周囲に世話を理解する人を増やし、そしてよい世話が受けられるように、これからの時代、ますますこのことが重要になってくる。
(掲載日:2011/03/09)