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2011.01.26

海の景色、山の景色|阿川尚之(SFC担当常任理事)

 昨年の暮、引っ越しをした。同じマンションの上の階に移っただけなのに、かなり大変だった。忙しくて予め準備をする時間がない。引越業者に頼んで細かいものは一切合財箱に詰め、とにもかくにもエレベーターで新しいアパートに運んだ。そのあと今度は片付ける暇がない。一ヶ月経っても箱に囲まれ寝起きしている。不思議なもので、箱を全部空けなくても十分暮らせる。多分大半が不要なのだ。人は不要なものをたくさんため込み、不要な仕事をたくさん抱えて、忙しい忙しいと文句を言いながら生きている。どんどん捨てよう。もっと捨てよう。最後には自分も捨てよう。でもなかなか捨てられないんですね、これが。

 新しい住みかは周りのビルより高いので、見晴らしがいい。場所は横浜港の近くだけれど、残念ながら山側なので客船や貨物船の出入港は見えない。その代わり富士山が見える。実によく見える。一昔前、東京で住んでいたアパートの窓の外、多摩川を超えた丘のはるかかなたに小さく富士山の姿があったが、あのときよりずっと大きく感じる。方角の関係で丹沢の山が麓を遮らないからだろう。

 空気が乾き澄んでいる今の季節、雪をかぶった富士の山はひときわ美しい。稜線がゆるやかなカーブを描いてすっと伸びる。周りに高い山がないから天に向かってくっきりと立つ。そして一日のうちに、しばしばその姿を変える。光の角度、天候、雲の形、雪の量が、さまざまな表情と色合いを山肌に与える。

 もっとも太宰治の作品『富岳百景』によれば、広重や文晁が描く富士の頂角が85度前後、北斎に至っては30度と急峻なのに対し、実際に測量した値は120度前後しかない。富士山は裾野が大きな割に低い、でれっとした山だという。そうかもしれない。目に入ったとたん様々な思いがわく憧れの山だから、ワンダフルなのだという。その通りかもしれない。それでもなお、朝起きると窓の外に富士山がある。夕方日が傾き暮れなずむ空に、富士山が薄墨色のシルエットとして映る。嬉しい。

 新しい住みかからは海も見える。山が見えるのは引っ越す前から知っていたが、海は予想していなかった。不動産屋のSさんも知らなかった。ところがバルコニーに出て南の方角を眺めたら、山手から根岸あたりの丘と房総半島の間に、東京湾の海面が、帯となって連なっている。海面は観音崎の水道から横須賀沖へと続き、一度丘の陰に隠れたあと、磯子近辺で再び現れる。オペラグラスを取りだして覗くと、東京湾航路を進む大型のコンテナ貨物船、観音崎灯台、そしてIHIマリン・ユナイテッドの造船所を認識できた。晴れた日には陽の光を浴びて、海面が銀色に輝く。楽しい。

 もっとも毎日、山と海ばかり眺めているわけではない。引っ越しが済むや否や、すぐ仕事に逆戻り。朝家を出て夜帰ってくるので、景色を楽しむ時間がない。代わりにコンピューターの画面ばかり見ている。暮から正月にかけて、休み中もずっと家で仕事だった。大晦日、一日中原稿を書いていて、気がつくと紅白歌合戦が終わろうとしている。慌ててテレビの前に座り、「ゆく年くる年」だけ10分ほど観た。午前零時が近づき、中華街の爆竹が鳴りはじめる。横浜中華学校の校庭に人が集り、新年を祝っている。港の汽笛は聞こえなかった。

 それにしても正月はなぜ目出度いのだろう。時差があるから、世界のどこにいるかによって年が明ける時間が違う。東京でカウントダウンが始まるころ、ニューヨークではまだ大晦日の午前10時前である。キリストやお釈迦様、天皇陛下や福澤先生の誕生日というなら、まだわかる。太陽の周りを何十億回も回り続けている地球が、さらにもう一周したからと言って、そんなに大騒ぎすべきことだろうか。子供のときと違って、私にお年玉をくれる人もいない。そのうえ歳を取ったせいか、最近あっというまに一年が終わる。この数年忙しくて年賀状さえ書けない。ああ、もうすぐ、また一つ歳を取る。一歩一歩終わりが近づく。

 この正月、ふと、「ああ、もう終わりなんだ」、と思った。別に厭世的になってはいない。多少すっきりした気分でさえある。もちろん、まだやらねばならぬ仕事はたくさんある。日々煩雑なことが多い。約束や締め切りからも逃げられない。だからまだすっかり終わったわけではない。けれども、「もうこれでお終い」、と思ったら、あんまり物事が苦にならない。

 今の仕事を途中で投げ出すつもりはない。いろいろな義務と義理はしっかり果たすつもりだ。しかし今からできることには限りがある。これから絶世の美女と出会い恋に落ちる(正確に述べれば、絶世の美女が私との恋に落ちる)とは思えないし、美声を認められ歌謡界で遅咲きの花を咲かせることもないだろう。そろそろ整理整頓して、自分にできること、自分がやりたいことをしよう。汽車に乗って東北や九州を回ろう。船に乗って海に出よう。文章を書いてささやかな本を出そう。

 冬の夕方、傾きはじめた太陽はあっという間に沈む。晴れた空が赤く染まって、陽が落ちても名残のごとくしばらく明るいが、数分後には闇があたりを包む。人生は、陽が昇って落ちるまでに似ていなくもない。明るく輝くのはごくわずかな時間で、すぐに光が弱まる。私の場合、午後4時半くらいだろうか。いやいやすでに5時を過ぎているのかもしれない。最後にほんの少し、うっすら輝きたいと思うけれど、それほど美しい夕日にはなりそうにない。

 けれども朝になれば、また陽が昇る。新しい一日がはじまる。そしてそこにはどっしりと構えて動かない山と、輝く海がある。私が去ったあとも、変わらずにずっとある。もちろん何万年、何億年の単位で考えれば、山も海も永久ではない。富士山が再び噴火するかもしれない。地球温暖化で海水が東京湾沿岸の都市部を呑みこむかもしれない。いつか太陽がそのエネルギーを使い果たし、地球そのものがこの宇宙から消滅する日がくる。人類は滅亡する。

 しかしそんな遠い将来のことを考えるほど、私の人生は長くない。あとしばらくのあいだ、慶應の国際戦略はいかにあるべきか、民主党政権の安全保障政策は大丈夫か、なんてことを心配しながら、楽しく暮らそう。そして今の仕事はなるべく早く若い人に譲ろう。体力がなくなり、すっかりぼけて、動けなくなったら、アパートのベランダから山と海を眺めてのんびりしよう。

 日は少しずつ長くなって、木々の芽がふくらみ、もうすぐ春がくる。

(掲載日:2011/01/26)