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2010.07.29

咳の出る夜に|阿川尚之(SFC担当常任理事)

 6月の末ごろから時々咳が出るようになった。なかなか収まらず、気になるのでお医者さんに診てもらった。熱もないし、痰も白い。何ともないだろう。念のためにレントゲンを取ったものの、何ら異常がなく、「このまま放っておいたら治りますよ」と先生。安心して帰宅したのが、もう2週間前のことであるのに、まだよくならない。却って悪化しているような気がする。

 咳が止まらない。いったんせき込むと、体のあちこちの筋肉がよじれて、突っ張って、存外疲れる。夜ベッドで横になるのが特によくない。寝ているあいだに痰がたまるらしく、せき込んで目をさます。喉の奥から痰をしぼり出し眠りに戻るが、1時間ほどするとまた咳に起こされる。頻尿ならぬ頻咳である。寝たり起きたり。このところの猛暑もあって、いたく消耗する。

 あまり咳が長引くので、改めて医師と相談し、薬を飲みはじめた。先週後半には、ついに2日間仕事を休んだ。今の職についてから、初めてだ。週末ゆっくり休み、仕事にも復帰し、今はいささかよくなっている。ただ咳だけはまだ止まらない。幸い私が休んでも、慶應には何ら、一切、ちっとも、支障がないことが分かったので、のんびり気長にやろうと思っている。

 夜 中に咳で苦しんでいるうちに、いろいろな妄想がわく。このままよくならなかったら、どうしよう。少し心配しだした私の横で、「家庭の医学書」なんぞという分厚い本を取りだした家内は、妙な自信をもって一言、「原因不明の咳が止まらない、あなたこれ肺がんに間違いないわ」。そうか、私は肺がんか。そうだとすると、あんまり長くないなあ。そういえば、昔の人はずいぶん咳で苦しんだっけ。正岡子規なんぞは、ゴホンゴホンしながら、短い間に俳句や歌をたくさん残した。

 をとといの へちまの水も 取らざりき

 それに昔の人は早く死んだ。正岡子規は35歳。モーツァルトも35歳。坂本龍馬は31歳。それに比べ私は何もしないうちに、もうすぐ還暦だ。先がない。こんなことを考えていると、だんだん気が滅入る。方丈記冒頭の一節を思い出す。

 朝(あした)に死し、夕(ゆうべ)に生るゝ ならひ(習い)、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より來りて、何方へか去る。また知らず、假の宿り、誰(た)がために心をなやまし、何によりてか、目を悦ばしむる。

 こういうときは、むしろ楽しいことを思い出すのがいい。私にとって、それは海と船の記憶である。それさえ考えていれば、嬉しい。先日大阪で福澤先生生誕175周年式典と記念講演会が開かれた。私も理事のはしくれとして出席し、その夜は神戸で一泊。翌朝、メリケン波止場の先の中突堤旅客ターミナルから客船「飛鳥II」に乗りこみ、横浜まで2泊3日の船旅をした。目的のある旅ではない。ただ海に出たかった。でもそれにしては金額が張る。我が家にそんな余分なお金はないという家内の猛反対を押し切って、忙しい仕事のあいま連休を利用し、ようやく船出したのである。船上では食事やらティーやら、小曽根真のジャズコンサートやら、客船ならではの楽しみもいろいろあるけれど、そして家内は反対した割りに船内でよく食べよく遊んだけれど、私自身は何より海原の上にいて何もしないのが楽しい。

 神戸を出港した「飛鳥II」は、右舷方向に淡路島、左舷方向に大阪南部の海岸線を見ながら、大阪湾を南下する。海から見る淡路島は大きくて長い。やがて狭い友ヶ島水道(紀淡海峡)を抜け、一挙に拓けた紀伊水道を、和歌山の山々を左舷に見ながらさらに南へ進む。やがて徐々に南東へ転針し、夕方には潮岬南方の海を東へ向かって航行していた。瀬戸内海と異なり、このあたりの海は濃く深い群青色をしている。急ぐ旅ではないから、客船は穏やかな海を10ノットちょっとの速力でゆっくり進む。

 風を帆にはらんだ大型のヨットや、内航貨物船が、時々本船と行きかう。はるか遠くの大型貨物船が、ゆっくりと本船を追い越していく。6万トンを超える大型客船が海原を行く光景は、あちらから見ればさぞかし威風堂々としているだろう。本船はゆるやかにピッチング(縦方向の揺れ)を繰り返しながら船首で海面を切り、それによって生まれた航跡が両舷後方へ広がっていく。晴れているものの存外風が強く、海面にはうねりがある。航跡とうねりがぶつかると、海面が盛り上がり、波頭が割れ、砕けて渦を巻き、白く沸きたって後方へと流れ去る。船首がさらに海面を切り、航跡が広がり、うねりとぶつかり、波が割れて砕けて、跡を引く。それが繰り返される。

 私は甲板に立って、複雑な水の動きをしばらくずっと眺めていた。船尾方向で、日はすでに大きく傾きはじめている。船体がその光をさえぎり、左舷側の海に影ができた。斜めから差し込む光は、航跡とうねりがぶつかって砕ける白い波頭を照らして反射する。目をこらすと、小さな虹が砕ける波の間にふんわりと浮かぶ。わずか数秒、七色に輝いて、さっと消える。あちらの波間にも、こちらの波間にも虹が現れては消える。一日のうちのある時間帯に、光の角度や波の高さなどの条件がそろったとき、小さな虹が生れるのであろう。しばらく見惚れていたけれど、船体の影はさらに濃くなって、虹は間もなくすべて姿を消した。船尾方向、西の空を真っ赤に照らしながら、海に日が落ちる。

 賀茂真淵が述べたとおり、人生は水の泡に似た、はかないものかもしれない。でも船上から見た、一瞬虹を輝かせる海の泡は、たいそう美しかった。また海に出て、あの虹を見たい。砕ける波を、無数のうねりを見たい。この咳を早く治して、お金をためて、もう一度船に乗ろう。そう思ったら、夜中に咳をしながらも、多少元気が出た。

(掲載日:2010/07/29)