2010年4月4日、清々しく晴れた日曜日に、SFC20周年の記念式典が行われた。会場には、ダブルディグリー校の中から韓国・延世大学、ドイツ・ハレ大学の先生方、神奈川県知事、藤沢市長など多くの来賓や関係者とともに、約2,300名が来場して下さった。参列していた私にとっても、心に残る式典であった。「気がつけば、あっという間の20年」というのが正直な感想である。
という書き出しからはじまる小さな記事をSFC20年特集が組まれている三田評論2010年6月号に寄稿したので、今回のお題に関しては、そちらを見て頂ければ幸いである。限られた字数の中では、細かなことを書くことはできなかったが、これまでの20年を振り返り、最初の10年を草創期、次の10年を継承期、そしてこれからの20年を再発展期と称して、SFCを展望した記事である。
ここでは、20年という歴史や大学の進化という視点から、日本の大学について考えてみよう。まず、大学の歴史という点から見ても、わが国の大学は、決して長い歴史をもっているとはいえない。私がこれまでに訪問した大学の中でもっとも古い大学は、イタリアのボローニア大学で創設1088年、世界最古の大学といわれている。学生たちと訪問した復元された解剖学教室は、大変印象的であった。また、友人のProf. Andy Hopperが所長を務めているComputer Lab. があるイギリスのケンブリッジ大学は、1209年創設である。入り口には、最も初期のコンピュータの真空管部品が飾られている。COE関連で訪問したイタリアのシエナ市にあるシエナ大学は、創設1240年である。ホールの入り口横に飾られた記念式典の絵には、750 周年という刻印がある。20年は、世界の大学の歴史の中では、まだほんの点でしかないかもしれない。
大学の進化という意味では、世界の大学は、優秀な人材を集める大競争時代に突入し、その使命、教育研究、運営の仕組みについても大きな変革が進んでいる。ヨーロッパは、1999年に制定されたボローニア・プロセスに基づいて、全ヨーロッパにおける大学教育の枠組みを再構成し、学士、修士、博士などの学位の標準化や質の保証に向けて改革が進行中である。また、ヨーロッパ以外の国々からも多くの人々が学ぶことができ、ヨーロッパで働ける環境をめざしている。先週、国際会議で訪問していたフィンランドでも、新しい学士、修士の枠組みを導入している。もっとも、学生に対する財政的な支援は、非常に恵まれており、授業料は国が全額負担してくれるだけでなく、後期博士課程に進学している多くの学生たちは、ほとんどの人が短期(~3ヶ月)あるいは、長期(1年以上)に海外の大学や研究機関に留学する機会を与えられている。私の務めていたCarnegie Mellon大学のSchool of Computer Scienceでは、スーパーバイザの研究プロジェクトに学生が参加しながら、Ph.D.取得をめざすスタイルで、授業料に加えて、毎月の給料も支給されている。基本的には、プロジェクト50%、自分の研究50%といった割合で働きながら、研究を進めている。前出のケンブリッジ大学のComputer Lab.では、世界各国のIT系企業から寄附を募り、後期博士課程の学生たちを財政的に支援している。一方、教員の流動性を高め、質的向上をめざした過激な制度が行われている1つの例としてドイツの大学がある。ドイツでは、教員の雇用に対する改革が行われていて、新規雇用の応募は国際的に公募で行われるとともに、若手教員が昇格する際には、かならず、大学を変わらなければならないという制度が施行されている。私の友人も、一度Karlsruhe大学を離れ、この4月から教授として運良く戻れたばかりである。ただ奥様は、仕事の関係ですぐには合流できないとぼやいていた。200kmぐらいを通勤している先生もいると聞く。
これらの大学に比べて、わが国の大学は、どうであろう? 先生の新規採用プロセスも学生たちの就活も非常に国内志向である。もっと、世界各地のいろいろな人たちに大学が開かれていかなければ、どんどん国際的な土俵からは見えなくなってしまうのは時間の問題である。学生たちももっとモービリティを高め、世界各地で活躍できる能力を高めて欲しい。
次の20年もあっという間かもしれないが、再発展期に入ったSFCが、これらの変革に向けて、慶應義塾における先導的キャンパスの一翼を担っていけることを期待している。
(掲載日:2010/05/25)