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2008.10.02

取らなかった道|阿川尚之(総合政策学部長)

さる9月9日、三田の西校舎講堂で9月卒業式が行われた。SFCからは133名の学生が卒業し、慶應を巣立った。教職員代表として祝辞を読みあげたので、以下再録する。

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みなさん、卒業おめでとう。教職員代表として一言お祝いを申し上げます。

昨年の2月、総合政策学部長の仕事を仰せつかってから、義塾の卒業式へ出席するのはこれで4回目です。私は、9月の卒業式が好きです。3月の卒業式は人数が多すぎます。卒業生全員で卒業式を行うには、慶應義塾が学校として少し大き過ぎることを、いつも感じます。

それに比べて9月の卒業式は、程よい人数です。一人一人の顔が見え、みんなで一緒に「若き血」と「塾歌」を歌うことができます。そして卒業生を義塾から広い世界へ送りだす。諸君もまた、さまざまな感慨を胸に、この丘を巣立っていく。みなさんは9月生でよかった。

こうして諸君の卒業式に列席すると、自分自身が経てきた、いくつかの卒業、そして卒業式を思い出します。

ただ私自身は、慶應義塾大学で学びながら、その入学式も卒業式も経験していません。義塾の高等学校から法学部政治学科へ進学したとき、ちょうど大学は学園紛争の真最中。日吉のキャンパスは一部運動家の学生によって封鎖されており、入学式が行えませんでした。日吉での授業はできず、5月になってようやく、三田で一部授業が始まったのです。それから2年半後、私は始まったばかりの塾交換プログラムで米国のジョージタウン大学へ留学、結局慶應を中退しジョージタウンを卒業して日本へ帰ってきました。ですから、私は慶應中退で学位なし。出席したくても、慶應大学の卒業式に出席する資格はありませんでした。

自らの選択とはいえ、ワシントンにいて中退が決まったとの報せを聞いたとき、それまでこの学校に大した愛着もなかったのに、さびしい思いがしたのを覚えています。振り返ってみれば、高校から大学3年の夏まで、知らぬ間に5年半も慶應にいたのです。冬が過ぎて春が来て、日吉のグラウンドを取り囲む満開の桜。雨にぬれた三田の大公孫樹が水たまりにその姿を映す姿。キャンパスで時々すれちがった、ほのかな思いを寄せていた女子学生。冬のワシントン、日は早く暮れ、厳しい寒さのなかで、もう帰らないと決めた慶應を、しみじみと思い出していました。歳月はめぐり、思いもかけず、この学校へ戻ってきて、若いみなさんが慶應義塾を卒業していくのを見るのは、うらやましく、またうれしくもあるのです。

慶應義塾150年の歴史上、おそらくさまざまな卒業式があったことでしょう。初期の卒業式がどんな形態で行われたかは、知りませんが、亡くなる前は、おそらく毎年福澤先生が出席され、演説をされていたことと思います。考えても見てください。この檀上に、絵ではなく、銅像でもなく、本ものの福澤先生が座っておられたなんて。今どきの若者のことばを使えば、まさに「チョー・ヤバクナイ」。いや、まめな先生のことです。今でも天国から降りてきて、この会場のどこかに姿を隠し、諸君の卒業を祝ってくださっているかもしれません。

卒業式はおめでたい場ですけれど、いつもよいことがあったわけでは、ありません。初期の慶應義塾はつぶれそうになったことがあります。卒業生は、母校がはたして存続するのかと、不安な気持ちで三田の丘を去っていったことでしょう。太平洋戦争のさなかには、繰り上げ卒業をして慶應からそのまま戦場へ出陣した学徒も、大勢いました。日本がいくさに敗れ、ほとんどの建物が空襲で焼かれてしまった三田の山。それでも平和を取り戻したなつかしい母校に、多くの学徒は、再び戻ることがなかったのです。

そんな悲しい卒業はあまりあってほしくないですが、諸君がこれから巣立ち、生きていく、日本、そして世界にも、厳しいこと、つらいことは、いくらでもあります。イラクやアフガニスタンではアメリカだけでなくNATOやその他の国の若い軍人が派遣され、命を落としている。つい最近もグルジアで戦争がありました。アフリカや北朝鮮には、餓えて死んでいく子供たちが、数えきれないほどいます。さらにここ1週間ばかりニューヨークや東京は、大きな証券会社が破綻したり、株式が暴落したり、容易ならぬ状況です。諸君は就職するにしても、さらに勉強を続けるにしても、学校を出たとたん荒波にもまれるかもしれません。少なくとも、慶應義塾大学を卒業したから安心だなどということは、ないのです。

そんなことを言うと、せっかくの卒業式なのにと、不安に思う人がいるかもしれない。大丈夫です。不安に思う必要はありません。むしろ喜んでください。希望の就職ができようとできまいと、あるいは社会に出る心の準備があろうとなかろうと、喜んでください。

慶應の卒業式には出られませんでしたけれど、私はジョージタウン大学の卒業式に出て、日本へ帰ってきました。かろうじて卒業したものの、外国の大学の卒業証書しかない。子どもの時大病をしたために3年ほど年齢が高く、しかも日本へ帰ってなにをやるのかも決まっていない。不安だらけだったのです。ジョージタウンはカソリックの大学です。卒業式の日の午前中、ミサがありました。私はクリスチャンではありませんが、級友と一緒に参加しました。よく晴れた、5月の美しい日でした。ミサを司式する神父さんが、「あなた方にひとつだけ伝えたいことがあります。それはThe News Is Good、知らせはよい、ということです」。そう言われました。「みんなが卒業したのはよい。今後どのような道に進もうが、行く手にどのような試練が待っていようが、知らせはいい。知らせはとてもよい」

おそらくこの神父さんの言葉のうらには、キリスト教の「福音」という考え方があるのでしょう。信者でない私にはよくわかりません。しかし、そのとき、私は妙に納得し、安心したのです。「そうか、よかったんだ。こうしてアメリカに来て、勉強してよかった。これから自分はどうなるか、わからないけれど、うまくいかないこともたくさんあったけれど、それもふくめてよいのだ」。そう思ってとても安心しました。以来ずっと、私は心のどこかで安心しています。

ですから、この神父さんにならって、私もみなさんにいいましょう。おめでとう。とにかくよかった。あなた方がこれから就職してどうなるかは知らない。あるいは学問の道に進んでやっていけるか、それもわからない。でもどんな道を選んでも、間違いはない。君たちの選択は正しい。知らせはとてもよい。

アメリカの有名な詩人に、ロバート・フロストという人がいます。彼の詩にThe Road Not Taken、「取らなかった道」というのがあります。

『The Road Not Taken』 by Robert Frost

Two roads diverged in a yellow wood,
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;

Then took the other, as just as fair,
And having perhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that the passing there
Had worn them really about the same,

And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black.
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,
I doubted if I should ever come back.

ある秋の日、人気のない森のなか、小道を歩く旅人が、分かれ道にさしかかります。どちらの道を取ろうか。二つの道は両方とも落ち葉にすっかり覆われ、ほとんど変わりがなかったのですが、あえて人が通ったあとが若干少なく見えた方を選びます。選ばなかった道は、いつかまたここに来て歩くまで、取っておこう。でも次から次へとものごとは起きるから、また帰ってくることはないかもしれない。

I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence:
Two roads diverged in a wood, and I―
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.

このことを、いま溜息をつきながら、話そう。
遠い、遠い昔、はるかなどこかで、
道が森のなかで二つに別れていた、
そして私、私は、
人が通ったあとの少ないほうを選んだのだよ、
それが、すべてのはじまりだったのさ。

この卒業式は、みなさんにとってそれほど大きなできごとではないかもしれない。私のあいさつなど忘れてください。でも今日ここで、あなたたちはひとつの出発をする。いくつもの分かれ道に差しかかり、その都度決断をしながら歩んでいく。恐れず、おののかず、強く、新たに、歩いて行く。

そしていまから何年もたった、はるかな未来、ふと今日のこと、SFCのことを思い出して、「ああ、あの日に、あそこで歩みをはじめたのだ」、そう感じてくれたら、そのときは慶應の教員や職員を、いや人生をもうとっくに卒業しているだろう私たちは、とてもうれしいのです。

あらためて卒業おめでとう。

(掲載日:2008/10/02)