私の故郷は姫路、世界遺産である姫路城のある町です。先祖は車引きだったそうですが、それ以前は解りません。播州播磨の小作農だったのでしょうか。ところで味覚は子供時代に形成されると良く云います。一体昔は何を食べていたのか振り返ってみました。私の育った家は裕福ではなく、祖父母の代から築き上げた海産物問屋の息子で、祖父母はみかん箱の上に海産物・昆布を置いて一から商売を始めたと聞いております。私の遊び場の一つは父の会社の巨大な倉庫の中に山積みされた昆布の上でした。遊びの中でお腹が空くとおやつ代わりに昆布をちぎってはしゃぶっていたのを思い出します。おかげで昆布の味、品質については相当うるさくなりました。母は父方の祖母から昆布煮を教わっていましたが合格点が貰えずぼやいていたものでした。しかし私が小学生の高学年になる頃には祖母からお墨付きを戴いていたようでした。母の昆布は塩辛いので高血圧患者さんには勧められませんがお茶漬けには最高です。家族とよく食べに出かけたところに「東来春」(とんらいしゅん)という中華料理屋がありました。ここの中華そばとそしてシウマイが私にとっては最高の好物でした。とくにシウマイは皆さんが普段食べておられるものと全く異なっています。具材がはっきりせずもちもちした食感で何とも云えない美味しいもので、親に週末連れて行ってもらうのが嬉しくてなりませんでした。後にも先にもこのようなシウマイは味わったことはありません。姫路に立ち寄られたら是非と思いますが、どうも賛否両論のようです。
姫路は海の幸も豊富でしたが、夏場の魚として鱧料理は子供のときから好きで梅みそで食べていました。生意気ながきです。関東ではおいしい鱧料理には出会えないのが残念です。母は良く鮭の粕汁を作ってくれました。タンパク質が豊富であり栄養価満点の食事でしたがこれは私にとって全く苦手な食べ物で閉口しておりました。一度だけですが、食事に文句を言ったことを覚えております。こっぴどく怒られました。それ以来、食事について好き嫌いは全く云えず我慢して食べていました。よって味覚に関しては育ててくれた母の味により今の食生活があるのだと思っています。
最近のことですが、京都の四条通りから八坂神社に入りそして高台寺に向かう途中、東山のふもとの日本料理店菊乃井に立ち寄ることがありました。懐石料理を戴きましたが、海老しんじょうのお椀は黒漆器もさることながらお出汁の味は格別で今まで味わったことのない素晴らしいもので無情の幸せを感じました。そして子供時代、昆布をしゃぶっていたことが思い出されました。
(掲載日:2008/11/04)