「星の王子さま」は初恋の人だったか、3番目、あるいは5番目に出会った人だったか、あまりにも遠い過去のことなので定かではない。しかし、私が小学校に入るまで毎晩のように父に話してもらった昔話や創作の寝物語と重なってしまう。幼児はその像を詳細に脳細胞の中に織り込んでいて、父の言葉によってその織り込んだ記憶の情景をあぶり出し、鮮明な像や形を描く。父の話が飛んだり抜けたりしようものなら、「うさぎさんはどうしたの、キツネさんは、今日はどうしているの?おうちの屋根は大丈夫・・」などと催促しながら情景を浮き彫りにさせていく。父は苦し紛れだったと思うが「大事なものは感じなくっちゃ・・・」といいわけをしながら、急いで話を追加してくれた。
「星の王子さま」をしっかりと認識するようになったのは、たぶんもう35年以上も前のことになると思うが、大学でフランス語を選択したときに「Saint-Exupery :Le Petit Prince」が教材になったことを記憶している。今考えると、名訳として知られる「サン=テグジュペリ作、内藤濯訳、星の王子さま」にもっと早く接していたら、フランス語の学び方が違っていたのではと思う。2005年に「星の王子さま」の著作権が切れると言うことで、三野博司氏も新訳を出版しているが、「表題については、内藤濯訳による『星の王子さま』をそのまま採用させていただいた。・・・原題は「Le Petit Prince:『小さな王子』であるが、そこに「星の」を冠したこの卓抜な着想に深い敬意を表し、ここでも『星の王子さま』とした」とあり、あこがれの君の表題が変わらなかったことに安堵している。
私は、時間があると時々初恋の人(3番目あるいは5番目に出会った人?)に会いに、箱根の強羅の山間にある「星の王子さまミュージアム」に行く。このミュージアムは、サン=テグジュペリの100年生誕を記念して、2000年に開設された。サン=テグジュペリ(1900・1944)は伝説の飛行士で、『南方郵便機』、『夜間飛行』、『人間の土地』、『戦う操縦士』、『心は二十歳さ』など多数の著作を残している。
私を魅了してやまない彼の言葉は多数あるが、中でも「心で見なくっちゃ、ものごとは良く見えないってことさ。肝心なことは目に見えないんだよ(内藤濯訳)」と知恵者のきつねに言わせていることです。「めんどうをみた相手には、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね・・・」とも。
王子さまは、このきつねの言葉を忘れないように「肝心なことは目に見えないんだよ」、「ぼくは、あのバラの花との約束をまもらなけりゃいけない・・」と繰り返し言っています。
看護教育や看護実践の現場は、「目で見ただけでは見えない」ことが多くあり、「心で見るとはどういうことか」を学習するのに、多くの時間を割きます。看護学生が「看護者の手に託さる多くの人々の生命や人格を守るために、いつまでも責任をとれるようになるために・・」王子さまと同じように私も、「心で見なくては、大事なものは見えないんだ」と、毎日この言葉を繰り返します。また、サン=テグジュペリは、「良心と折り合いをつけるために、できるだけ苦しむこと」という、言葉を残しています。私は初恋の人を思うとき、彼が残したこの言葉の意味をもう少し、深く理解したいと思っています。
(掲載日:2008/05/15)
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