小学生のころ、夏休みになると退屈で困った。時間は有り余るほどある。でもすることがない。動くと暑い。手持ちの本は大方読んでしまった。昆虫採集なんかまっぴらだ。たまった宿題はしたくない。新学期前の数日が悲惨な状況になるとわかっているのに、やる気が出ない。蝉の鳴き声がうるさい。おなかが減った。夕食までまだ時間があるなあ。しょうがないから、ひたすらぼーっとしている。とにかく怠惰な子供だった。
大学の教師になった理由の一つに、この夏休みがあった。給料は安くても、夏休みがある。2ヶ月近く、ぼーっとしていられる。小学生の頃と同じように、持て余すほど時間があれば、本が読めるし、文章もかける。気ままな旅にも出られるだろう。会社員やらロイヤーやら、時間に追われるのに疲れた。そう思って、大学教員になるのを楽しみにしていた。
それがどうだ。意に反して教員という職業はむやみと忙しい。確かに夏休みはあるけれど、暇などありはしない。夏休みはまるまる休めると「信じた私が悪いのよ、おバカさんだったのね」(って演歌があったような気がします)。学部長になってから、特に悲惨だ。これまで毎年9月にアメリカのロースクールで教えていた。それができない。学校の仕事が追いかけてくる。編集者が追いかけてくる。毎朝メールを開くのがこわい。
この夏も、試験期間が終わって休みに入ったとたん、却って忙しくなった。7月の末にアメリカ海軍のイージス駆逐艦に招かれ、終日海の上でのんびりしたのが唯一の例外。(このことを書きだすと長くなるので、涙をのんで省く)。それからは学生のレポートを読んで成績をつけ、研究会の合宿へでかけ、京都同志社で4日間に14コマぶっつづけで教え、新聞のコラムを書き、3晩続けて京都の学者につきあい、もう一つ別の原稿を書き、学部長の仕事を電話で片づけ、メールに返事をして、ああ疲れた。授業中、2回、くらっとめまいがした。これで私もいよいよ「京都に死す」かな。そう思った。
自宅へ戻ったのが8月9日、それからはひたすら自宅で仕事をしている。7月末が締め切りだった大きな論文を仕上げねばならず、朝起きてから夜寝るまで、ずっとパソコンに向かって文章を書き、直しては書き。毎日書いていたら、400字詰め原稿用紙100枚分にもなって、編集者から長すぎると言われる。それで30枚けずり、今になってもまだ手を入れている。朝から晩まで、毎日毎日、文章と格闘だ。なんとそのうえ夏休みの最中だというのに、「おかしら日記」の締め切りが迫る。9月上旬までに、原稿をさらに3本、講演を3つ。ああ、どうしてこんなに引き受けちゃったのだろう。たまった仕事を片付けたら、もう夏は終わっているだろう。
仕事ばかりしているのは体に悪いから、毎日自宅近くの市営プールで泳ぐことにした。200円の入場料を払うと、1時間泳げる。夕方行けば、それほど混んでいない。午後6時を過ぎると、照明が灯ってナイターだ。冷たいシャワーを浴びて、プールに飛び込み、400メートルをクロールでさっそうと一気に泳ぎ抜ける。(本当はぜいぜいいいながら、かろうじて浮いている)。
日暮れ時のプールはいい。段々あたりが暗くなり、プールのまわりの木々の緑が深みを増す。照明が水に反射してきらめく。闇のなかに、プールとその周囲だけ明るく青の空間が広がり、男女が思い思いに水中を跳ねたり、浮いたり、進んだり。つばめが水面をかするようにして飛び去る。蝶が一羽、ふわふわっとプールの上を行きすぎる。仰向けに浮くと、都会のなかに空がぽっかり空いて、雲がすべるように東から西へ飛んでゆく。
ビル・ブライソンというノンフィクション作家の作品に"A Short History of Nearly Everything"(邦題『人類が知っていることすべての短い歴史』)というのがある。宇宙の誕生から生物の発生、人類の登場までの過程を、そしてそれを発見し研究し理論を立てた個性あふれる科学者たちを、平易なユーモアある文章で描いたすばらしい本である。夏休みに時間を持て余している学生諸君へ、大いに勧めたい。
著者はこの本の序で、「あなた」という人間が、何十兆、何百兆の原子からできあがっていること。しかも「あなた」という人間が存在するためには過去380億年のあいだ1回の間違いもなく、「あなた」の祖先たちすべてが正しく出会い、正しく生殖を繰り返し、次々に新しい世代を生み出してこなければならなかったこと。にもかかわらず「あなた」は平均で65万時間しかこの世に生存しないことを述べる。
1日が24時間だから、1年で8760時間。65万時間を8760で割ると、74歳。希望的観測をすればもう少し長く生きていそうな気もするけれど、それより早く死ぬかもしれない。まあ仮に人生65万時間としよう。私の場合なんか、もう50万時間くらい行っちゃっている。残り15万時間しかない。
今日プールで泳いだのは、入場料の関係で1時間だった。(それ以上入っていると、ふやけるし、入場料をあと300円払わねばならない)。あれはわが人生65万分の1、残り時間の15万分の1だったんだなあ。子供のころ、時間は有り余るほどあると思ったが、もうほとんど残っていない。プールの水の中から雲の流れる空をぼんやり眺めていたら、はかなさと幸福感が同時にジーンと心にしみた。
(掲載日:2008/08/21)