この夏、ヨーロッパの看護学会の一つである「The 13th Research Conference of the Workgroup of European Nurse:Chronic Illness Management」に出席するついでに、ドイツの看護の事情について調べたいことがあり、8月27日〜29日の2泊3日間に亘って、ジュッセルドルフ大学を訪問しました。そこには、留学中の文学部の樽井正義教授(ご専門のカント哲学を研究中)がおられ、幸いにもドイツ語の支援のみならず、大学教育や医療事情等についても多くの情報を教えていただき、短期間であったにもかかわらず実りある訪問ができ、大変感謝して帰ってきました。
とりわけ、樽井教授からのメールに「カイザースヴェルト(Kaiserswerth)って聞いたことありませんか?」と。 1週間前にご友人とそこを訪ねて帰って来られたら、ご夫人が、ナイティンゲール(Nightingale)が滞在していた町ではないかと言い出されたと言う。「・・・良く調べ直して見ると、そのとおりでした」と。ナイティンゲールが若き日に滞在し、教育をうけた場所であることがわかり、‘ぜひご案内をお願いします’と切望し、訪問できたことは最高の感激と収穫でした。そんなわけで今回は、私にとってこの夏の最もエキサイチングであったカイザースヴェルトでのナイティンゲールとの再会について述べてみたいと思います。
カイザースヴェルト(Kaiserswerth)は、Dusseldorf北部のライン河畔に位置するところにあります。1836年、そこに、この町のルター派教会の牧師をしていたTheodor Fliedner(テオドール・フリートナー)が、Diakonissenanstalt(ディアコ-ニッセンアンシュタルト:福祉施設で働く女性のための施設の意味)を設立しています。この施設は、教区の老人、病人、幼児を世話するところの女性を教育する施設で、この建物の名前はMutterhausと呼ばれ(ムッターハウス:お母さんの家の意味で、「看護学校」を指す言葉になっている)、現在ではKaiserswerther Diakonieと呼ばれる総合病院等を含む複合施設になっています。
1850年、ナイティンゲール(30歳)はエジプト・ギリシャ旅行の帰途、このカイザースヴェルトを訪問し、2週間の世話をする見習いをし、翌年には3ケ月間滞在して教育を受けています。就学に際して、彼女が書いた履歴書やエドワード・K・クック著(中村妙子・友枝久美子訳、ナイティンゲール―その生涯と思想、時空出版、1994年)によると、ナイティンゲールは子供のころから看護に関心を持っており、1844〜45年(24〜25歳)頃に看護の仕事に就こうとしていますが、周囲の人たちの反対で実現していませんでした。そのナイティンゲールを強く突き動かしたのが、知人から見せてもらったKaiserswerthの年次報告書です。彼女はそこでの活動を知り、看護を単に信仰や慈善活動としてではなく、女性の一生の職業と捉えていることに共感を持つようになったと思われます。1851年、再びカイザースヴェルトを訪問した彼女の日記には、ここで過ごした日々のことを次のように述べています。
I could hardly believe I was there.With the feeling with which a pilgrim first look on the Kedron, I saw the Rhine, dearer to me than the Nile.・・・I have never known a happy time, except at Rome and that fortnight at Kaiserswerth.
この夏、若き時代のナイティンゲールの生涯に最も強い影響を与えたと思われるKaiserswerther Diakonieを訪問して、多くの感慨にふけりました。
静かな樹木のたたずまい、落ち着いた人々の動き、思いやりの心遣いと人々の笑顔、専門職として人々のニーズに応えようと長短あわせて100以上の研修プログラムを用意し、社会の変化に対応しようとしている前向きな取り組み、そして172周年が今年の9月14日に来ることを示した横断幕などを見ていると、ナイティンゲールの強い意志と静かな振る舞いや、彼女に強い感銘を与えたテオドール・フリートナーの思想が、今もなおカイザースヴェルトに息づいているようで、「近代看護の発祥の地」に触れた思いで、私の心は満たされていました。
それにしても、物理的な環境も人の思索に影響を与えるようで、4〜5階建ての屋根をはるかに凌ぎ、雄大に・伸びやかに枝葉をゆったりと広げたカイザースヴェルトの樹木や、「ナイルよりも私の気に入っているライン」とナイティンゲールが表現したライン川の豊かで穏やかな流れを見ていると、人の思いを超えた大きな存在へのコミットメントやかけがえのない生命を支えずにはいられない気持ちになります。
彼女はラインについて、次のように語っています。
「ラインは泳ぎを全ての人に与えた。とりわけためらっている子供に親切であった。・・・今もなお教区の庭に小さな夏の家が建っている。・・・」
ラインの雄大で静かな流れを見ていると、まさにこの流れを過去のある日にナイティンゲールも見たことに気づき、感動し、彼女の看護教育への意思を継ぎたいものと思わずにはいられませんでした。看護を志す学生はもとより、そうでない人も、静かで美しいカイザースヴェルトを、機会を見つけて訪ねてみてはいかがでしょうか。
(掲載日:2008/09/04)