新年おめでとうございます。平成20年、西暦2008年がやってきました。慶應義塾創立150年の記念すべき年です。築地鉄砲洲にあった中津奥平藩の中屋敷、その小さな座敷で数人の書生を集め蘭書の講読を始めた若き日の福澤先生も、まさか150年後これほど盛大に祝ってくれるとは思わなかった。
義塾が産声を上げた1858年は、日本が米・蘭・露・英・仏とそれぞれ修好通商条約を締結し、世界各国と本格的に付き合いだした年でもあります。翌年には横浜が開港され、1860年には日米修好通商条約の批准書をワシントンに届ける幕府遣米使節団の一員として、福澤先生咸臨丸に乗り組み、サンフランシスコへ渡ります。1858年には安政の大獄も起きていて、ひどく騒がしい物騒な時代でした。
その時から現在まで、150回春が来ると桜が咲き、150回夏の暑さに人々は閉口し、150回秋になれば銀杏の葉は色づき銀杏が生り、150回冬のはじめに木枯らしがビュービュー吹いて木々は丸裸。そして150回お正月がやってきたのです。ずいぶんいろいろあったなあ。
恒例により、SFCの学部長・研究科委員長連は、元旦の9時前に警備員詰所の前に集まりました。遠藤地区の新年会に列席するためです。湘南台の駅前は人気がなく、タクシーもしばらくこない。ようやく乗ってSFCへ向かう途中、坂の上から富士の山が姿を現しました。頂上から品よく雪を被り、正月の澄み切った空気のなか、ドーンと視界に飛び込んできます。それはそれは神々しく気高く、富士のお山はやはり日本一の山です。
遠藤地区の集会所はキャンパスのすぐわきにあります。私たちが到着したときには、すでに地区の代表をつとめる方たちが大勢集まっておられました。奥には山本藤沢市長をはじめ、県会議員、市会議員、市長になりたい人など、地元の名士が並んでいます。机の上には朝からビールにお酒、ウーロン茶、するめいかやらみかんやらが、行儀よくしています。乾杯のあと来賓の挨拶があり、ご指名で我々慶應の代表も一言ずつお話をしました。一通り終わったころで入ってきたのは、看護医療学部長の山下さん。あんまり日和がいいので、早く来て散歩していたら迷っちゃったんだそうです。お疲れ様でした。
遠藤地区の方たちは、慶應義塾がこの地に新しいキャンパスを開設することを決めて以来、SFCの誕生を、その発展を、暖かく見守ってきました。それだけに慶應への期待が大きく、時には不満もあります。このキャンパスが今後さらに発展するにあたって、地域の方たちの協力は欠かせません。「この春には、みなさんと一緒にSFCのグラウンドで地域伝統の大凧を上げましょう。」そう約束して帰ってきました。
みなさんと別れたあと、徳田環境情報学部長と私は、人気のないキャンパスを少し歩きました。晴れ渡った冬空の下、元旦の空気がうまい。徳田さんと二人、中高等部のとなりにある浅間神社で、「どうか今年もSFCにいいことがありますように」とお参りをしました。この神社もまた、SFC創設以来、キャンパスと学生たちを静かに見守っています。
学部長になって最初の正月、年の初めこんなに早く起きたことは一度もないと、ぶつぶつ文句をいいながら家を出たのに、朝早く遠藤の人たちと集まって、徳田さんと浅間神社に参拝してみれば、意外にさわやかな、悪くない元旦でした。キャンパスは静まりかえって、新撰組のチャンバラも、初詣客に沸く明治神宮の華やぎもありませんでしたけれど、私たちはこうして慶應創立150年の、そしてSFC創設18年の正月を迎えたのです。
(掲載日:2008/01/09)
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