「学会」と聞いて人はどんなイメージをもつだろうか。「学術的な権威」、「世の中にとって何の役にもたたない抽象論を戦わせる場」、「自分たちのことを自分たちで権威づけている、けしからん輩」など、いろいろな見方があろう。たぶん、それらの意見は、どれも正しい側面をもっているのであろう。
学会といっても、もちろん、立派なものから誰も振り向かないものまで、いろいろ、ある。実際、学会とは、事務局と会員がいれば「俺たちはなになに学会だよ」と言うことで、誰でも作れるものである。
日本で経営学の神様と言われているピーター・ドラッカーは、経営体としてのNPOについて、「その特徴は、self-definingであることだ」と喝破した。企業は利益を上げるためにできた組織であるから、利益が出ない企業はなくなるし、利益が大きい企業は「よい企業」である。NPOは、その目的が利益最大ではないので、「私たちはこれこれという社会問題を解決します」など、自分で自分の使命=ミッションを宣言する必要がある。ドラッカーは、そのような状況を、一言で言い切ったのである。
非営利組織である学会は、もともと、権威を持っているものではなく、自ら掲げたミッションとそれに沿った社会的成果を出すことによって、関連コミュニティに評価され、存在意義ができるのである。考えてみれば、現代の企業も、ただ利益を上げるだけではだめで、社会的な存在意義が問われている。
社会問題を解決しつつ、事業性もしっかり持っているという「社会起業」が、最近、日本でも、注目されて来た。SFCは、多くの若手社会起業家を輩出しているし、日本の大学に先駆けて関連の授業科目や研究会を立ち上げている。ドラッカー風に言えば、自らの使命を自分で定義するという自律性を持ちつつ、事業性は市場を通じて他律的に評価を受けるという、いわば、水陸両用の車のような存在である。それが、今、世界的に活躍を始めているということは、それだけ、この世界が多様で複雑になってきたということであろう。
(掲載日:2007/12/20)
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