「学部長室って、どこにあるんですか?」ときどき学生諸君に聞かれます。確かに案内板は立っていないし、入口まで来ても「これから先、関係者以外立入禁止」と書いてあるので、入りにくいのでしょう。用がないのにしょっちゅう出入りされても困りますが、もう少し気楽に立ち寄ってくれても、いいのですよ。学部長一人さびしく座っていますから。
そんなさびしい学部長室にも、窓があります。仕事に疲れた時、立ち上がって窓から外を眺めます。秋の秋らしい朝、一面の紅葉を背景に、タロー坂をツインライナーがカーブを切ってゆっくり上がってくる。停留所で学生は次々にバスを降り、道路をわたる。階段を上って本館前を通り、キャンパスのあちこちへ散っていく。昼どきには、メディアセンター前で立ち止まり、楽しそうに話している。夕方になると、人の流れは逆になり、家路につく学生たち。日が暮れて、キャンパスの建物全体が光の城になるころ、人影は次第に減って、静寂が辺りを包む。そんな光景をつぶさに見ることができます。
眼下の諸君は、まさか私が見ていると夢にも思わないでしょう。ですから普段見せない、思いがけない表情を見せてくれます。一人で歩きながら、なぜかにやにやしている人。背中が少しさびしげな人。オメガ館のわきにある階段を上り、そこの踊り場に座りこんでじっとしている人。あれは何を考えているのでしょうか。SFCの片隅に、自分の居場所を見つけたのか。あるいは、ただ居眠りをしているだけなのか。
私たちは、いろいろな窓を通じて、世界を見ています。視界が一気に開ける窓があれば、狭い街の一角しか見えない窓もあります。数学者の藤原正彦氏は、初めて留学したミシガンの冬、うつ状態に陥り、日がな一日、自室の窓から見える駐車場の屋上を出入りするフォルクスワーゲンやキャディラックの数ばかり数えていた。自著『若き数学者のアメリカ』に、そう記しています。古今の名作といわれる絵画の多くも、画家が自分の窓を通して見つけた世界の姿です。ダビンチが描いたモナリザの背後には、イタリアの田園風景が額縁のなかで時をとどめ、絵の奥深くへどこまでも続いています。フェルメールの絵はしばしば左上隅に窓が描かれ、光が差し込んでいます。絵という窓のなかに、もうひとつ窓があり、その向こうに今から四百年近く前のある日ある時、大きな空が広がっていました。
考えてみると大学は、そこで学び研究する者に、さまざまな窓を提供する一つの場です。窓はときに視野を区切り、視点を強制しますが、同時にその奥へ、限りなく広い世界を秘めています。そして窓の向こうに新しい世界を発見する人を、待っているのです。SFCの学生諸君、研究者諸君は、どのような窓をこのキャンパスで見つけるのでしょうか。ここに集う若者にとって、SFCそのものが大きく視野を広げる共通の窓、「同窓」であってほしい。そう思います。
(掲載日:2007/11/29)
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