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2007.08.08

おかしら川柳:憂ひつつ|阿川尚之(総合政策学部長)

2月末、総合政策学部長代行に就任してから、6か月経ちました。6月1日、代行の2文字が取れましたけれど、実はまだ前学部長の残存任期をこなしているだけです。自分自身の任期2年が始まるのは、まだ2か月先の10月1日だそうです。

学部長になって、すっかり自由を奪われています。朝学校へ到着すると、9時から第1会議室で何とか委員会、10時半からは大会議室で、かんとか委員会、12時には学部長室で客を迎え、1時には何とか賞の選考会。この調子で、一日中会議室から会議室へ引き回されます。おかげで、キャンパスをゆっくり歩く暇がありません。学生と話す機会も減りました。アメリカ憲法判例に出てくる、自由を奪われた奴隷の気持ちが、よくわかります。

この職についたからといって、毎日SFCや三田に通っているわけではありません。この夏休み、教員や学生の姿がめっきり減り静かになったキャンパスへ、数日おきに来てはいますが、家で仕事をすることも多くあります。ただ、週7日、起きているあいだは、なんとなく学部のこと、学校のことが気になります。あの案件はどうしよう。この案件はペーパーを書かねばなるまい。先日は夢のなかで、三田キャンパス、塾監局の建物が学生に取り囲まれていました。私はその人ごみをかき分け、かき分け、なんとか前に出ようと必死です。いったい、一体どうしてこんな夢を見るのでしょうかねえ。

学校の仕事ばかり考えていると、体にも精神にもよくありません。コンピューターに1日中向き合い、メールに返事をし、メモを書いて疲れたときは、散歩にでかけます。2年前、アメリカから帰国以来借りているアパートは、横浜中華街のすぐ近くにあり、港を散歩するのに好都合です。日曜日の夕方、みなとみらい地区の高層ビル群、その背後に日が沈むころ。1日中にぎやかだった山下公園から新港埠頭にかけての一帯は、ようやく人影がまばらになり、静けさをとり戻します。運がいいと、大桟橋に大きな客船が停泊していて、足は自然とその方向に向かいます。船が大好きな私にとって、客船にあいさつするのは国民の義務に等しい。客船がいなくても、税関、検疫、水先案内人、海上保安庁、水上警察などの小型艇が、行ったりきたり、港はいつも息をしています。

船を見ると、そして水を見ると、心が落ち着きます。この海は遠くアメリカやアジアにつながっていて、海の上には何とか委員会も、かんとか委員会もないんだよなあ。そう思いながら、小さな波が寄せる山下公園の海際を歩いていたら、大きな魚が一匹跳ねました。全身の筋肉をばねのように弾ませて、ポーンと空中に踊りだすのです。数秒後に、もう一匹。今度はあちらの方角でさらにもう一匹。ポーン、ポチャン。ポーン、ボチャン。なんだか魚は、自分たちの自由な境涯を、私にみせびらかしているようでもありました。

憂ひつつ、港へ来たれば、魚笑ひ。

(掲載日:2007/08/08)

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