MENU
Magazine
2008.01.31

ちょっとした場面での表情|金子郁容(政策・メディア研究科委員長)

私は、普段、論理的でクールだと見られている(?)ようだが、実は、かなり、感動しやすいたちだ。野口みずきがオリンピック行きを決めるマラソンの35キロ過ぎの坂を最後の力を振り絞ってダイナミックに走り切る。トップアスリートのとびきりの力の発露に対しては素直に「すごい」と思う。しかし、ついほろりとしてしまうのは、もっとずっと平凡な場面だ。ちょっと難しい状況で一生懸命な普通の人がなにかの拍子に見せる仕草や表情に対してだ。

競争社会が進展し、社会の二極化が顕著になる中、高校段階での不登校生徒への対応は大きな問題だ。義務教育ではないので行政が保証するわけにはいかない。当事者ひとりひとりにとっては由々しき問題だが、行政は数でしか対応できない。少子化で子どもの全体数が激減する中、全国で公立の定時制高校はどんどん閉鎖されている。フリースクール、サポート校、特区による株式会社立の学校などが実質的な部分を受け持っている。

小さな山あいの町に不登校や引きこもり等の生徒を受け入れている学校がある。今では珍しくなくなったが、生徒たちに、炭焼き、そば打ち、染め物などの体験学習の機会を提供している地域のボランティア団体が大きな役割りを担っている。茶髪にピアス、ヤンキー風の高校生たちが、けっこう、一生懸命に作業をしている。学力向上が叫ばれているが、この子たちは、まずは、自分から社会とのかかわりをもつ体験をすることが大事だ。人生経験豊かな地元のお年寄りのボランティアたちが、これまで、いろいろな事情で人生にちょっと乗り遅れてしまった若者たちをもり立てている。

陶器作りをしているグループ。熱心に取り組んでいるある男の子。しかし、最後の段階で作っている陶器が割れてしまうというアクシデント。「こんなはずじゃなかった」と、見る間に曇るその子の表情。間髪を入れず、お年寄りの女性のボランティが彼の肩にそっと手をのせた。そのときの、ちょっと恥ずかしそうな、それでも、うれしそうな彼の表情。私は、こういうのに弱いんです。

(掲載日:2008/01/31)

→アーカイブ