この10月1日から学部長に就任することになりました。この機会に看護医療学部が開設されるに至った経緯、看護医療学部に何が期待されているかについて述べたいと思います。
慶應の看護教育は、大正7年(1918年)4月に、当時すでに「医療における看護師の役割」を高く評価された慶應義塾大学医学部初代学部長北里柴三郎先生の卓見に基づいて始められました。このことは、福澤諭吉の建学の精神に根ざした「独立自尊」の人格養成と、「実学」の理念とを見事に具体化した一例として慶應義塾内外から高く評価されてきました。
そのような背景を持つ慶應義塾の看護教育は、様々な厳しい変化の中にあっても、その建学の理念が高く掲げられ、それは厚生女子学院、慶應義塾看護短期大学、そして現在の看護医療学部へと継承されてきました。とくに看護医療学部の開設にあたっては、これまでの卒業生や教職員の願いはもとより、多くの社中の皆様の大きなご支援のもとに、「看護・医療の先導者たる人材の育成」が掲げられ、大きな期待が寄せられました。
1. 福澤先生の「世話」の概念に見るケアの原点
明治8年(1875)3月出版の『学問のすすめ』14編の中には、「世話の字の義」があります。一部引用させていただくと、「世話の字に二つの意味あり、一つは保護の義なり、一は命令の義なり。保護とは人の事につき傍らより番をして防ぎ守り、・・・或いはこれがために時を費やし、その人をして利益をも面目をも失わしめざるように世話することなり。命令とは人のために考えて、その人の身に便利ならんと思うことを指図し、不便利ならんと思うことには異見を加え、心の丈を尽くして忠告することにて、これまた世話の義なり。右(上)の如く世話の字に保護と指図と両様の義を備えて人の世話をするときは、真によき世話にて世の中は円く治まるべし。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
保護と指図とは、両ながらその至る処を共にし、寸分も境界を誤るべからず。保護の至る処は即ち指図の及び処なり。指図の及び処は必ず保護の至る処ならざるを得ず。・・」と。
この一文に接したとき、これはまさにケアの原点、看護の原点であると大きな感動をおぼえました。慶應看護の「人間愛」の泉源に触れた思いです。看護医療学部に学ぶ学生・教員ともに、この「人間愛」と「実学」の思想を基盤にした現代の慶應看護の発展・創発が課せられていることを強く自覚せずにはいられません。
2. 現代の保健・医療の動向
現在の看護医療を取り巻く状況は、激しく変化しています。医学や科学技術のめざましい発展に伴い、医療そのものが病気の治療にとどまらず、病気の予防、健康の保持・増進と、人々がその人らしく生活できるように、「広く生活の質の保障」に目を向けてきています。 また、世界の交流は日ごとに身近なものになってきており、遠いところの急性の重篤な感染症や世界のどこかの災害が、実は「遠い」ところのことでなく、人々の明日の身近な生活に影響しています。さらに依存的な人が増える一方で、健康権に目覚め、多くの情報を持ち、健康生活をマネージしたいと意欲を持つ人も多くなってきています。
このような変化やニーズに対応するためには、医療にたずさわる人は、専門的な知識・技術はもとより、いつでも・どこでも、事態に迅速かつ柔軟に対応できる姿勢、同時に理解や了解を得るための高いコミュニケーション技法、人々の健康に関する考え方・生活習慣に影響を与えることのできる教育力など卓越した能力が求められてきています。さらに、現状の看護や医療の質の維持のみでなく、現状を改善・変革・発展させるための情熱や専門性が大きく求められてきています。
3. 看護医療学部のめざすところ
このような変動の激しい保健・医療の第一線で活躍し、社会をリードすることが求められている看護職者には、事態に迅速かつ柔軟に対応できる高い能力と資質が求められています。看護医療学部は、かねてからそのことを重視し、看護教育そのものがより科学的・論理的な体系に基づく新しい展望を持つべきであると考え、取り組んできています。
しかし、看護医療をとりまく変化の速度は非常に速く、現状を「改善・変革・発展させる」ためには、新たな発想による更なる研究・教育・実践が必要だと考えます。SFC3学部・2研究科の協力はもとより、さらに他学部・研究科・他施設との有機的な連携による学生・教職員が一体となる教育・研究プロジェクトが必要だと考えます。
看護医療学部は、学部の規模としては小さいですが、それをカバーするパッションに満ち溢れています。新しい‘健康生活を創造する’ことに果敢に取り組んでいけるように、看護医療学部は一体となって取りくんでいきたいと考えています。皆様のご協力・ご支援をお願い致します。
(掲載日:2007/10/11)
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