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2007.07.05

『ナオユキ』という名をつけられそうになった、迷子の子ねこの話|阿川尚之(総合政策学部長)

つい最近のことです。学部長室からわが研究室のあるκ棟へ向かって早足で歩いていました。建物へ入ろうとした、ちょうどその時、研究会のメンバーGさんに呼び止められたのです。
「阿川先生、子ねこ」。
なるほど私の足下近くに、生後一ヶ月ほどの三毛猫がいます。小さい上に、やせていて、よろよろしています。親ねこから、はぐれたのでしょうか。
「顔をけがしているみたい」とGさん。「先生、学部長でしょ。面倒みてやってください」。学部長の職務に、キャンパスの子ねこ保護業務が含まれるとは知りませんでしたが、そう言われればしかたない。
「うん、わかった。だれかに頼んで保護してもらうよ」
と応えて、学部長室に電話をしました。

そのあいだにも、子ねこはヨロヨロ歩きます。放っておくと、また迷子になりそうです。事務室からの迎えは来ない。私は急ぐ。どうしようか思案していると、しゃがんで子ねこをなでていた若者が、「梅垣研でとりあえず保護します」と申し出てくれたのです。安心した私は、子ねこの居所を学部長室に伝えて、その場を去りました。

一時間後、学部長室に戻ると、Kさんが「先生、事務室の人、だれも子ねこを引き取りに行ってくれないんです。それで梅垣先生から、さっきお電話がありました。『学部長はどこだ、だれも子ねこを引き取りに来ない』って」。Kさん、新米学部長がまた面倒な問題を起こしたのではと、心配そうな表情です。

とそこに、また電話がかかってきました。受話器を取ると、案の定梅垣先生です。
「あのねえ」。来た、来た。梅垣さんが「あのねえ」と言って話を始めるときは、ご機嫌が悪いのです。
「はい、子ねこのことですね。申し訳ない。急いでいたものですから、つい梅垣研の心優しい学生さんに保護をお願いしちゃって」
「そいつには、大目玉くらわせたよ。勝手に迷子の子ねこを引き受けてくるなって」
「ご迷惑をおかけします。すぐ事務のほうから引き取りにうかがって、処置を講じます」
私は電話機に向かって直立不動で答えました。
「でもねえ」と、突然梅垣さんの声の調子が変ります。「誰も引き取り手がいないと、保健所に送られて、それこそ処分されちゃうし。キャンパスに放すと、あの状態だからカラスにやられちゃうかもしれないなあ。可哀そうだから、もうしばらく預かるか」
「ありがとうございます」
「その代わりにさ」と、梅垣さん。
「子ねこに『ナオユキ』って名前をつけとくよ。なにか沮喪をしたら『こら、ナオユキ』って、しかってやるんだ」

数日後、風の便りに、子ねこはメスであったこと、梅垣研究会で人気者になったこと、ある学生さんが家に連れ帰って「猫用ノミとりシャンプー」で徹底洗浄してくれたこと、風邪をひいているようなので動物病院で健康診断を受ける予定であることが、伝わってきました。まだ里親を探していて、名前も募集中とのこと。

SFCには心の優しい人が、大勢いるんですねえ。それに、どうやら「ガクブチョー」「ナオユキ」などという野暮な名前はつけられていないようで、子ねこ君、本当によかった。

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(掲載日:2007/07/05)

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