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2006.09.14

今頃の若いものは|大西祥平(健康マネジメント研究科委員長)

私が医学部を卒業した昭和52年(1997年)は巨人の王貞治選手がホームラン世界新記録の756号を達成という輝かしい出来事やダッカ日航機ハイジャック事件という凄惨な出来事があった年でした。その当時の医学部生は卒業し医師国家試験に合格すると配属希望の科に、すなわち内科、外科、産婦人科などなどに医師としての活動を開始します。研修医という身分で、卒後5年から10年ぐらいの医師とのマンツーマンの指導を受け、様々な経験を積んでいく、いわば徒弟制度が医師教育のシステムでした。研修医は患者さんが起きる頃に診察を始めます。朝7時前です。そして必要があれば採血をし、患者さんは朝食となります。延食といって、朝の採血のために食事の時間を遅らせてもらうことはもってのほかでした。患者さんの毎日の決まったスケジュールが最優先でありました。診察した内容の記録は指導医が病棟に現れる前に済ませておかなければならず大慌てでカルテ整理をしました。そして指導医と再度回診をして更なる問題提起、平たく云えば小言ですが、それを頂き反省しながら、図書館に行き足らないところを眠い目をこすりながら勉強します。午前中は外来についたり、様々な検査に参加することが多く、昼休みの時間がずれこむことは日常茶飯事でした。たまたま恐い指導医(最も熱心な先生でありましたが)にレストランで昼食をしているところを見つかると回りに患者さんや家族の方がおられる中で、「お前たち、食事をしている暇があるのか!さっさと病棟に戻れ!!!」と云って怒られておりました。そそくさと食事を済ませ病棟や図書館に戻り勉強をするのです。夕方からはカンファレンスにて様々な患者さんの病気についての勉強会が行われ、そして患者さんが夕食をされてから9時就寝までの間に2度目または3度目の診察を行い、一日の新しいデータを整理し、評価し、今後の治療方針を立てます。そして指導医が外勤などから帰ってこられるのを待ち、そして指導医に簡単な説明を行い指導を頂き、終わるのが大体10時から11時頃となります。

仕事ばかりしているように思われるでしょうが、そうではありません。当然このころは若くて元気がありましたから、看護士(当時は看護婦)さんの準夜勤務が終わる頃を多くの研修医は12時、1時まで待って、それから皆で、慶應病院でしたので、六本木や赤坂に飲みに行ったり、ダンスに行ったりして発散し、朝方に戻ってきたりして、再び勤務につくという毎日をどのぐらい続けたでしょう。土曜日や日曜日などは有りませんでした。そして週2回ぐらいは当直をしていました。今、考えればよく続いたなとも思います。

医師は知力より体力と云います。体力勝負なのです。忙しい合間に勉強をし、そして遊ぶということが日課でした。

今はこのような殺人的なスケジュールで過ごす若手医師はおりません。スケジュール管理、健康管理が十分に施されています。当直明けは休みとなります。土日も休みです。もちろん夕方5時または6時には終え、その後は当直医に患者さんを任せるシステムとなっております。教育制度もしっかり整ってきつつ有り、昔を思うと隔世の感があり、うらやましく思う反面、複雑な気持ちになっているのが真実であります。

(掲載日:2006/09/14)

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