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2006.07.31

振り返れば『波瀾万丈』|徳田英幸(政策・メディア研究科委員長)

大学の職とは、何か運命的な"出会い"があったのかもしれない。

出会い1: 工学部の修士課程を終わるころ、当時、日吉キャンパスの7号館地下にあった情報科学研究所の助手というポジションのオファーを頂いた。私にとっては、学部生時代からプログラム相談員(SFC的にはCNSコンサルタントのようなもの)をやっていたところであり、馴染み深い組織で、優秀な先生方がいた研究所なので大変光栄に思ったことをよく覚えている。しかし、その年、私学助成金カットがあり、全塾ワイドに助手の採用は凍結となり、働く前に失職することとなった。

出会い2: 翌年4月、ほぼあきらめかけていたカナダのウォータルー大学の計算機科学科から入学許可の知らせが届く。さらに、Computer Communications Networks Group (CCNG)からResearch Assistantとして雇ってくれるという。最高のオファーである。しかし、留学用のビザを取りに赤坂のカナダ大使館にいくと、正式な入学許可証がないとビザの発行はできないという。一方、ウォータルー大学側は、ビザが出ない限りは、正式な入学許可証は出せないという。デッドロックである。
当時は、e-mailもfaxもなく、解決に大変な時間がかかったがなんとかビザを夏前に取得することができた。運よくある財団から渡航費補助ももらうことができ、いざ、ニューヨーク経由でウォタータルーへ向けて飛び立つ。米国から日本へ留学していた学生たちの帰国用チャーター便に乗れたのは良かったが、サンフランシスコ-ニューヨーク間のチャーター便が機材の関係でキャンセルとなり、サンフランシスコでスタック。数名ずつ一般の飛行機会社の便に振り替えてもらい何とか数時間遅れでニューヨークへ到着。翌々日、グレーハウンドで陸路を移動し、ウォータルーへ到着。

出会い3: CCNGには、ブラジル、香港、中国、ベトナムなど、いろいろな国から留学生が来ていた。Eric Manning先生のもと、沢山のCCNGのメンバー、先輩、同僚、ハッカーらにも鍛えてもらい、無事、Ph.D.を取得。西海岸のXEROX Palo Alto研究所、IBM San Jose研究所(現Almaden Research Center)をはじめ、いくつかの大学をめぐるJob Interviewツアーをした。結局、当時、世界の分散コンピューティングのメッカであった米国カーネギーメロン大学の計算機科学科(CMU-CSD)に就職した。

今、振り返ってみれば、大学の職を求めたのではなく、世界最先端の研究環境を追い求め続けていたのかもしれない。分散システムの分野で、世界的に活躍していた研究者が多く集まっていたCMU-CSDに就職でき、自由で、オープンで、活気のある研究コミュニティの一員として研究教育を実践できたことは、私にとってかけがえのない経験となっている。

(掲載日:2006/07/31)

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