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2006.12.07

はじめてのパソコン|小島朋之(総合政策学部長)

かつて、原稿書きは大変だった。原稿用紙は「半ペラ」、200字詰めを使い、1枚書くのに数枚以上をホゴにした。手書きを卒業し、ワープロを使い始めたのは京都時代の1984年であった。文章には魂が宿るのであり、機械に頼って書くとは何事か、という批判がなお根強いころであった。ワープロ使用は大学、とくに文系の同僚の中ではかなり早い方であった。1984年から85年に1年2ヶ月ほど、北京の日本大使館に専門調査員として滞在したが、原稿を日本に送る際にファックスはまだなく、テレックスであった。

帰国後、パソコンについてもNECの98シリーズが全盛期で、若い同僚に使用を勧められ挑戦したが、モノにならなかった。本格的に使い始めるのは1991年3月にSFCに赴任してからだ。ワークステーションが研究室に設置されていたが、使い方が分からず、途方にくれたことを覚えている。新学期が始まる前に、新任の先生向けにUNIXのテキストエディタであるEmacs、Eメールの使い方など講習会があった。しかしモノにならず、なおワープロに頼っていた。ところが授業のシラバス、毎回の授業レジュメの作成と送信が必要となり、SAから「先生、早くパソコンを使ってください」との度重なる要請で、少しずつパソコンに切り替え始めた。

最初に購入したのがデルで、持ち運びするには重かったことを記憶している。本格的に使い始めたのは、1995年春学期にサバティカルをいただいて、米国の首都、ワシントンにあるジョージワシントン大学の東アジア研究所に滞在してからだ。毎月の連載原稿をEメールで送信しなければならなかったが、これが厄介であった。なおブロードバンドでなく電話回線で、米国の国内中継基地を通じて日本の雑誌社に送信しなければならなかった。電話回線がつながるのか、つながっても途中で切れてしまっていないのか、雑誌社に電話をかけて、受信を確認しなければならなった。

いまではこんな苦労もなくなったが、同時に「電話回線が故障した」「遅すぎて切れてしまった」など、原稿提出の遅れの言い訳も通用しなくなった。

(掲載日:2006/12/07)

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