いま慶應義塾では、150年記念事業の一環としていろいろな行事が行われている。2月4日には、「慶應義塾大学教養研究センター」主催の「開かれゆくキャンパス:慶應義塾一貫教育の冒険2」が幼稚舎自尊館で開催された。福沢諭吉の手紙を朗読する会に、幼稚舎児童をはじめとして義塾の生徒・学生、卒業生などが参加するということで、私もお誘いを頂いた。他人の前で朗読するということは小学校の学芸会のとき以来である。少し躊躇うものがあったが、面白そうという誘惑に惹かれて参加した。司会と朗読を担当された女優の紺野美沙子さんは、優しげでいて凛とした佇まいの素敵な方だった。幼稚舎の児童は、30人位の大勢で朗読するにもかかわらず呼吸がそろい声に張りがあって、会場いっぱいに声が響き圧巻であった。中学生・高校生以上は一人で朗読したのだが、工藤常任理事、塩澤経済学部長の声のよさは心地よい発見であった。私自身は、声質に自信が無いので間違わずに読み終えたということで満足している。日常から離れてのこのような集いはいい気分転換になった。
本日のお題の“大失敗”は、朗読会で出会った幼稚舎生と同じような4年生の頃の事である。母が入院していたので、2歳違いの姉と私は家事のお手伝いをしていた。その日は、姉がセーターを洗濯するという。そのセーターは母の手編みで、それほど器用とはいえない母が夜なべをして姉のために編んだものだった。素敵なレモンイエローで、左の胸のところに葡萄の房と葉っぱの編みこみ模様があり、姉のお気に入りであった。私にとっても、来年の冬かその次の冬には自分の物になるはずのそのセーターはあこがれの対象であり、姉の手伝いは楽しいことだった。当時の家には、冬の間、薪ストーブがいつも居間の真ん中にあり、その上には大きなやかんがしゅんしゅんと湯気を立てていた。そのときもお湯がいっぱい入った大きなやかんを姉が両手で持ち上げて、そばで手伝うつもりでうろうろしている私に「離れていないと火傷するよ」と注意しながら、ストーブの傍らに置いた大きなたらいの中のセーターの上に、やかんのお湯を注いでいった。その瞬間、母の手編みの素敵なレモンイエローのセーターは、2人の目の前であっという間に小さく縮んでいったのだ。泣きたい気持ちもしたが、それよりも驚きの方が強かった。一所懸命編んでくれた母への申し訳なさと素敵なセーターをだめにしてしまった無念さですっかり悄気返った2人から事の顛末を聞いた母は、私たちを叱りもしなかった。母自身もきっとがっかりしたのだろう。叱られなかったことで余計に母への申し訳なさが強く心に刻まれた大失敗であった。
(掲載日:2007/02/14)
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