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2006.07.06

意想外の教員人生|小島朋之(総合政策学部長)

人生、どうなるのかは分からない。小さい頃からの夢の一つが新聞記者になることであった。それもテレビドラマの影響で、“事件記者”になりたいと思っていた。小学校時代からのこの夢をずっと持ちつづけ、慶應義塾大学法学部の4年春まで新聞社の入社試験を受けるつもりであった。それが当時6月に実施されていた大学院の塾内試験を受けてみて、合格してしまい、7月1日に大手新聞社が一斉に行う入社試験を断念してしまった。とりあえず、もう少し勉強してみるか、と軽く考えてしまった結果である。

大学院修士課程を修了し、すぐに米国のカリフォルニア大学バークレー校の博士課程に留学し、帰国後に香港に日本総領事館の特別研究員として滞在したが、読売新聞社の香港支局長から可愛がられ、「小島さんは研究者にしておくのはもったいない。外報部で中国専門の記者にならないか」と冗談めかして誘われた。帰国直後には後にオーストリア大使になられた香港総領事館の上司からは、「小島さんは研究者より、外交官に向いている」といわれて、外務省入りを勧められた。私自身の中国研究が当時から、現代中国政治を対象とし、動かぬ文献資料を読み込む学問研究というよりも、刻々動く事象の追跡とその予測に傾斜していたからであろう。その意味では、記者でも外交官でもよかったということなのかもしれない。

それよりもなによりも、教員向きではないと思われたからであろう。高校時代の友人たちほとんどは、私が柔道一直線であったこともあり、いま大学教員となっていることが信じられないと驚いていた。私自身が信じられないのであるから、それも当然である。

しかし、1975年から大学教員となり、すでに30年以上も教員生活をすごしている。それでも、人を育てるというよりも、付き合う学生たちから育てられているという感じが、いまでもなお濃厚である。「半学半教」は私の教員人生そのものである。SFCで過ごす時間はそう長くないが、「半学半教」はこれからもつづくであろう。

(掲載日:2006/07/06)

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