ついにきたぞ,このときが! そう,定年退職のときが!
編集部からは,今回のテーマは「どうなる日本!」ということであったが,僕には予想どおり特別バージョンが与えられた。退職だから,「退任にあたってSFCでの思い出,SFCに対する思い・願い・叱咤激励など自由に」でも可ということなので,想定どおり後者で行くぞ。
SFCの思い出として最初のものは,最寄り駅の「湘南台」が都心から非常に遠く,さらにそこからのバスの道のりも結構なもので,僕が心に描いていたそれより格段にかけ離れて田園チックであったことだ。SFCの近くには丹沢の山並みが迫っているし,SFCの入口に当たる「慶応大学前」という交差点には,ハイキングコースの道しるべが建っている。看護医療学部校舎すぐ脇の森には天然記念物の「オオタカ」が営巣していることを考えると,里山,谷戸(やと)という用語がぴったりのところ。
SFC生活が始まって3年が経過し,それに慣れたころ,この『おかしら日記』が始まった。それ以来,僕はこのブログにその時々の心象を丹念に書いてきたので,以下,つれづれなるままにそれを追いたい。
2004年4月13日
「さあ,新学期」(タイトル,以下,同様。これはそのたびごとに編集部から割り当てられたものが多いが,そうでないのもある)
2004年5月8日
「受け継がれる福澤精神・SFC生に感動」 このあたりは,新設「看護医療学部」学部長として,新学部の宣伝に努めた。
2004年6月9日
「応援は不可能を可能にす!(甘いか?)」 ここでは塾生に,野球の早慶戦を見に行って早慶人しか味わえない心地好さを経験せよと言った。
2004年7月5日
「追跡おかしら24時」 SFC,三田,信濃町等の各キャンパスを分単位で跳びまわる看護医療学部長・教授,学内理事そして医学部外科学教室兼担教授としての自分を実写。
2004年8月6日
〔今号は、各おかしらの得意な言語で「おかしらの夏休み」をテーマに執筆をお願いしています。これは編集者の注。これが毎号あったほうが,内容を伝えやすいと思うので,復活をお勧めしたい〕「3 Tagen Golf Urlaub nach Hokkaido im Mittelsommer, der erste Tag(真夏の北海道ゴルフ休暇3日間、第1日目)」 約30年前を思い出し,ドイツ語で。
2004年9月9日
「私の本棚」〔今号のテーマは「おかしらの本棚」。本にまつわるお話をご紹介いただきます。〕当時の夏季休暇に日曜大工(趣味の一つ)で作ったBRB3色(Blue,Red and Blue: 慶應義塾のスクールカラー)の木製本棚の写真入で。この本棚は長く学部長室に置かれ,渡り廊下通行人の目を汚した。
2004年10月7日
「努力」 自分の信条である「努力する者には運が付く可能性があるが,努力しない者に運は付かない」という趣旨のもの。
2004年11月4日
「人の性(さが)」
2004年12月2日
2005年1月6日
「2005年元旦:遠藤地区西部自治会新年会へ」 毎年元旦の新年会の様子をまとめた。この元旦行事は今後ずっと続きそう。SFC学部長・研究科長・事務長諸君,今後の健闘を祈る。
2005年2月10日
「新設学部・大学院研究科入試雑感」 正月明けの一般入試のほかに,AO入試,学士編入試等があり,秋から冬はずっと入試で忙殺される状況。
2005年3月17日
「卒業」 看護医療学部第1回生の巣立ちが間もないとき,そしてNY学院への校務出張時,成田の空港ラウンジから編集部にeメール添付で原稿を送ったのち機上人に。つかの間ではあるが,流行作家気分を満喫。
2005年4月14日
「新SFCファカルティクラブ」 探訪記。後日,この日記を読んだ塾員のマダムから感謝のお手紙を頂いた。
2005年5月24日
「私のカバン遍歴」 この記事が元で,後日『サライ』(小学館,毎月2回発行の旅行誌,1回に20万部以上発刊)に大々的に掲載された。これで一番喜んだのは,僕の患者さんたち。このような媒体の強大さに驚いた。またこの一件で,『おかしら日記』がブログ界で有名であることも教えられた。『おかしら日記』がブログ界で有名であることは,他の機会でも実感しているので,今後ますますのご発展を。
2005年6月23日
「『クール・ビズ』雑感」 これは面白く書けた。
2005年7月28日
「生まれ変わったら"皮膚科医"に」 外科医の僕にしか書けないし,しがない外科医でなければ書こうとも思わない独り言。
2005年9月12日
「SFCで好きな場所」 これを読むと天気の好い日にSFCを訪れたくなるし,セミナーゲストハウスに泊まりたくなる。
2005年11月10
「『健マ』の魅力」 これまでの肩書きは「看護医療学部長」であったが,ここからは「健康マネジメント研究科委員長」。
2005年12月21日
「塾創立150年記念事業コアコンセプト作成にみた我が塾のスマートさ」 これは結構,塾にとって本質的なことを書いた名文と自負しているのだが,反響はゼロ。ブログってこんなものなんだ。
2006年2月9日
「極めつけ,バツの悪かった祖父からの気合の入った贈り物:そろばん」 こういうことって現実にあるんです。
2006年3月20日
「さようなら『おかしら日記』,そして、みんなさようなら」 今回です。定年退職まで残り11日,文字どおりオーラス。
先日,僕の大好きだった緑と橙色の湘南電車が姿を消した。そして,今度は僕が姿を消す番。もう数日で,これまた僕の大好きな吉野桜が開花する。お別れのシーズンが秋でなく,このように賑わいのある春で本当に良かったと,定年退職の今,特に思う。これが欧米のように秋の,最後の枯れ葉を眺めながらのお別れでは寂し過ぎですよね。欧米といえばWorld Baseball Classicでみた米国人のエゴは,ちょっと想像を絶するほどの凄さだった。それでも彼らは敗れ去った。それでも彼らは世界のpolice officerと自負してるんだよね。
このブログ書きはかなりの苦痛を伴うものの,大いなる愉しみを僕に与えてくれた。それだけでなく,ボケかかった頭脳のクリーニング/ルブリケーションや文章力の増大にも力を頂いたと思う。この間,支えてくださった編集者であるSFC総務(広報担当)の五十嵐 絵理子君に深甚の謝意を表したい。また,かなりの励ましを頂いた読者諸君と,いろいろなチェックをしてくれた愛する妻と娘たちにも。
僕は今後も,塾医学部外科学教室講師(非常勤)として,大学病院で診療・研究指導を続けます。また,塾医学部同窓会副会長も,今のSFCのeメールアドレスも続きま〜す。
みんな元気で,そしてありがとう,そしてさようなら。
長くなってごめんなさい。(涙そして完)
(掲載日:2006/03/20)
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