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2006.03.27

SFCを停年で去るにあたって|斎藤信男(環境情報学部教授)

私は、本(2006)年3月末をもち、27年間の慶應義塾大学の勤務を終わることになります。4月からは、駒澤大学にできる新しい学部「グローバル・メディア・スタディーズ学部」の学部長として移籍します。

長いといえば27年間は長かったですね。慶應で一番面白かったのは、SFCの創設でした。人生、楽しく仕事をしないと損ですね。その意味では、大変得をした気持ちです。創設に際して開かれた新学部構想委員会なるもので灰皿が飛んだという伝説も生まれましたが、実際には灰皿の代わりに罵詈雑言が激しく飛び交いました。それだけ、関係者は情熱とやる気があったのですね。今は、どの大学でも変革、構造改革といったお題目が盛んに言われていますが、本当に情熱を持って取り組んでいる人は少なそうですね。上から言われて、しょうがなくやっているのでは、それも当然でしょう。

SFCを創設したのは15年以上前ですが、その時代背景は現代の急速な変化の中で大きく変化しています。ITは進み、環境への認識は深まり、政策の重要さはますます増大していますが、何と言っても国際環境は一番変化したのではないでしょうか? 日本の存在感が急速に減少し、アジア地区では中国、韓国、インドなどがその存在を膨らませています。ヨーロッパもEU統合がどんどん進み、米国、日本を追い越せと一体になった研究開発が盛んに進められています。SFCは、このような変化を先取りして課題を見つけ出し、解決策を提案していく人材を育成するはずでしたが、うまくやってきたでしょうか? 時代の変化が激しくて、SFCでも間に合わないのではと危惧の念を持ちます。SFCは、原理を追うというより、実践、実質を追うのが役割かと心得ていますが、今や危機に面しているのではないでしょうか?

それじゃ、どうすれば良いのと言われても困りますが、15年前に日本の大学の先導者であったSFCは、やはり大きな構造改革を提案し実践する必要があるでしょう。その端緒になる事を最後っ屁として言って見たいと思います。

(掲載日:2006/03/27)

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