ついに、不安が的中。もっともSFCらしいイベントのひとつ、卒業生の出発を祝うテイクオフラリーが、今年、なくなった。ここ数年、この時期になると、その開催がいつも危ぶまれ、すれすれのところでやっと実施されたが、その綱渡りもついに今年で終わり、その綱がプツンと切れてしまった。最初からつき合っている僕たちからすると、学生が主体になってSFCの卒業式を「テイクオフ」というコンセプトで実行してきた歴史が、ここで切れてしまうことに、悲しみ以上の何かを感じる。ふと、SFCはこれでいいのか、とため息さえついてしまう。でもこれがSFCなんだろう。どんなに価値があっても、その魅力が失せると、あっという間に消滅し、そして次の瞬間、それを超える何かが生まれる。未来からの留学生は、歴史の継承者が嫌いなんだろう。
1月31日、中尊寺ゆつこが死んだ。おやじギャルも過去の歴史になった。
いま、苦労し頑張っている学生たちがいる。かれらは卒業制作展を成功させようと真剣である。安易なイベントとしてのテイクオフではなく、4年間で蓄積したオリジナルな研究成果を、成績という教師だけの客観的?特権ではなく、卒業制作展という形で外部に公開し、多くの人々からの厳しい評価を積極的に求め、そのことでSFCの自分という歴史に意味を見出そうとする試みが動き出している。この卒業制作展は、テイクオフラリーを超え、新しい価値創造を求め、問題発見解決型の教育研究スタイルを追求してきたかれらにふさわしい最後のゲートとなる。もちろん学生の自主企画であり、自分たちが卒業制作展を実践するぞ、という精神が逞しい。しかもあたかも僕たちに挑戦するかのように、なんと総合・環境の入学試験日である2月19・20日に、横浜の赤レンガ倉庫で実施される。教師が選ぶのではなく、学生自身が選ぶのだ、というストレートな主張が聞こえてくる。
1月28日、僕はこの世に生をうけた。ただし58年も前の過去のことだ。
それを祝うかのように(まったくの誤解だが)、「Keio Sports Party」が盛大に開かれた。このパーティ、小島さんとふたりの思いつきではじめた企画なのに、その実現に奔走してくれた松橋くんたちのおかげで、楽しいイベントになった。とっても感謝だ。SFCのスポーツ精神は、2004年にバスケットや野球の優勝として、見事に開花した。おめでとう。しかしこのパーティでの収穫は、突然、別のところから舞い込んできた。「すみません、ぼく、下沖といいます、話を聞いてください」。彼は総合政策2年の下沖功児くん、自転車競技倶楽部に所属して、去年の国体の成人男子ケイリンで準優勝した。宮崎日日新聞に載った、その記事を持っていた。しかし驚異なのは、その準優勝ではなく、SFCに入ってはじめて自転車競技をやり、わずか1年で大ブレークした、という信じられない事実だ。SFCには、怪物がいるものだ。しかしこの倶楽部は資金がないので、満足する装備すら買えないらしい。自転車競技への情熱だけを支えに、逞しくそして懸命に、古いタイヤで疾走している。
つぎは、そんな彼をスターにするための仕掛けを考える誰かが出現しそうだ。スポーツベンチャーが立ち上がるのも、いいかもしれない。
1月31日、慶應高校が甲子園に行くことになった。45年ぶりに過去から解放された。
(掲載日:2005/02/03)
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