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2004.12.17

2004年のSFC|小島朋之(総合政策学部長)

すでに12月、今年も間もなく終わろうとしている。SFCでも、2004年の1年間に教育と研究の両面でさまざまなことがあった。

わたし個人にとって最大の出来事の一つはフットサルで1ゴール、1アシストをやったことだ。昨年10月のホームカミングデーから研究室対抗のフットサル・ゲームがはじまり、チーム出場の条件ということで無理やりゲームに出されたが、2分も走れば息切れ激しく、シュートさえままならなかった。今年はたまたま出てしまった足にボールから当たってくれて、キーパーを横切ってゴールポストに入ってしまった。さらには滑って転んだところに、相手チームの学生たちが心配して駆けつけてくれた隙に、味方の学生がゴールしてしまい、これでアシスト1である。還暦過ぎてゴールできるとは、過信しないように気をつけよう。

走りつづけるSFCでも、この1年間に悲しみそして喜びで足をとめたときがあった。

悲しみで足をとめたのは総合政策学部教授であった孫福先生の逝去だ。孫福先生は準備段階から事務側のトップとしてSFCの創設にかかわっただけでなく、教員としてSFCに戻ってきて大学評価、大学経営論などの研究・教育を通じてSFCの発展に貢献された。横浜市立大学の理事長予定者として、SFCの外に第二のSFCを創ることに全力をあげて倒れられた。孫福先生が編集責任者を務められた『未来を創る大学』がやっと出版され、霊前に手向けられたのはよかった。SFC10年史を出版しようと決めたのが2002年であったから、ほぼ2年がかりであった。しかし、遅れたために10年史がバージョン2.0も含む15年史となり、「未来を創る大学」としてのSFCの過去を回顧するだけでなく、未来への発展の見取り図も展望も含めることができた。

喜びで足をとめたのは教育・研究面で成果をあげてきたことだ。久し振りに東京6大学リーグ戦で、そして全日本バスケットボール選手権で慶應義塾が優勝した。佐々木先生がコーチのバスケットは主将の志村君、得点王の竹内君などレギュラーのほとんどが、野球もピッチャーの加藤君、キャッチャーの岡崎君など主力がSFC生である。SFC生の文武両道ぶりをみて、感激してしまった。熊坂先生と一緒に優勝パレードから三田での祝勝会に参加し、天皇杯に注がれたビールを飲んだ。しかし、三田での祝勝会で学生たちの盛り上がりをみるにつけ、SFCの学生皆にも塾生としての一体感を味わえる場を持たせてあげたいという気持ちになった。

研究面でも、徳田先生が代表のCOE「次世代メディアの基盤形成」が中間評価で慶應義塾大学全体のCOEの中で、ただ一つだけ「A」評価をうけた。このままで所期の世界水準の研究成果をあげることが期待される、という評価である。来年は政策COEが中間評価を受けることになっている。同じく「A」評価を受けることを期したい。

来年もSFCは走りつづけるキャンパスであるだろう。悲しみではなく、喜びでまた足をとめることが多いことを祈っている。

(掲載日:2004/12/17)

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