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2005.07.28

生まれ変わったら"皮膚科医"に|吉野肇一(看護医療学部長)

ソロソロかなと怖れていたところ,やはり編集者より連絡あり,今回のテーマは,「生まれ変わったら何になりたい?」と。そして次の文が添えられていた(・・・を含み原文のまま):7月は七夕もあり・・・・・・ということで,“もしも”今度生まれ変わったら何になって何をしたいか,などご自由に執筆いただければと存じます。

『生まれ変わる』と七夕とどういう関係があるのか編集者に尋ねようと思っているうちに,例によって締切日を迎えてしまった。七夕は言うまでもなく once a year rendez-vous であり,生まれ変わりと結びつけるのは,少なくとも次に述べるような貧しい人生経験しか持ち合わせない僕にとっては難しい。編集者原文の中に含まれる6個の中点(・・・・・・)の真意を,いつか知りたいものである。これまで数々の苦境を救ってくれた編集者だけに,きっと何か,行間ではなくて点間の情があるに違いない。

外科医稼業を40年続けると,“純”唯物論的世界にしか住んでなく,したがってこの数十年間は「生まれ変わったら何になりたい?」なんていう,純空想とは対極的世界にいたことを改めて実感した。つまり,こんなすばらしい空想の世界をまったく忘れていたのだ。もったいないことをしたものだと思う一方で,現実を超越できない自分というものの自己認識に大いに役立った。

このように空想の下手な僕が,あえてこの「生まれ変わったら何になりたい?」に答えるとすれば,きわめて現実的に,「やはり医師になりたい」であろう。ただし,直接的に生命に係わる科は敬遠したい。そのような科ではどうしても夜は起こされ,休日出勤を余儀なくさせられ,マイ・オウン・ライフをエンジョイすることと対峙することになるから。ということは,皮膚科あたりかな。

それにしても,これまで僕がやってきた一般外科は,この点,超最低であった。夜・昼・休日・盆・正月関係なく,自宅に携帯にと,遠慮会釈なく緊急電話。このときから一般外科医とその家族の悲劇が始まるのだ。代表例:娘たちが小学生の頃だから今から約4半世紀前の大晦日,一家で志賀へスキーに出かけるべく準備万端整ったときに,突如,外科の大先輩から魔の電話。「外科OBが他院で手術を受けたが,経過が極めて悪く何とか助けてくれ。診るだけでよいから来てくれ。」

これでスキー旅行はおろか,正月がすっ飛んでしまった。大学病院勤務でもこの有様,地方の第一線病院勤務となるとさらにすさまじい。多くの若手外科医は病院を1年単位でローテーションするので,病院敷地内の宿舎をあてがわれる。なかなか瀟洒で快適な生活空間と喜ぶのもつかの間,夜間・休日の救急車のサイレンに泣かされるのです。救急車で来る患者対応に呼び出される頻度として,一応は何でもこなす一般外科医のそれが圧倒的に高いのだ。したがって一般外科医は,第一線病院では花形である。だけど辛いんです。

ドイツで4年間の一般外科医生活を振り返ってみよう。月から金の昼までであるが,来る日も来る日も手術,手術の連続であった。しかし,月1回の週末日・当直,月2回の平日当直以外は,17時を過ぎると病院とは完全に離れることができた。したがって,本邦と異なり,手術が終わったら,患者を当番医に任せ,直ちに帰宅できたのである。当時,同僚のドイツ人が,僕に次のように語っていたのを覚えている:医師の離婚率は高く,その中でも一般外科医のそれは高い。これを回避するにはこのようにせざるを得ない。

一般外科医,多くは消化器を専門としているのだが,として一人前になるには最短でもその道で10年近い研鑽が必要である。大体は35歳前後でその域に達し,それからあと40歳代後半までの約15年間が最盛期といえる。それを過ぎると手術の円熟味は増すものの,老眼の進行と体力減退が前面に出てきて,集中力の長時間持続が困難になる。つまり,一般外科医の最盛期は他科医師と比べるとかなり短い。

20世紀終盤から本邦を含んで先進国のほぼすべてにおいて一般外科医希望者が激減した。理由はこれまでの記述でお分かりであろう。これに加えるに,手術を基本とする外科では,小規模の医院開業が極めて困難である。

というわけで,来世は「皮膚科医」にと書くことにした。

でも,第一線病院の花形,数十cmに及ぶ一太刀の感触等,外科の中でも最も外科らしい一般外科の魅力は語りつくせるものではない。(了)

(掲載日:2005/07/28)

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