ぼくは、57年の人生のなかで、かなり長い間慶應義塾大学にお世話になっていますが、「慶早戦の応援に一度も行ったことがありません」。学部生の時は敵方の早稲田にいましたが、そこでも早慶戦に行ったことがありません。もう40年前のことですから、文句をいわれても困りますが、そういう事実が過去にありました。
なんで慶早戦に行かなかったのか、野球が嫌いなのです、という理由ならば、納得いくでしょうが、野球は大好きで、小学生の時は学校を代表する第2?ピッチャーでした。公式戦は1回戦で敗退したので、結局はマウンドに立たなかったのは、無念ですが。まあ、そういうことで、野球は好きです。長嶋茂雄と一緒に人生を送ってきた世代だ、と自慢できるぐらい444本のホームランには多くの思い出を共有しています。1974年の引退によって、ぼくの野球人生は終わりました。でも、今、長嶋、がんばれ。
学生の頃は、音楽に凝っていました。ジョニー・ホッジスからオーネット・コールマンまで、それなりに勉強?(※『中国共産党史研究』のような勉強ではありません)をしました。当然メロディは覚えましたが、不幸なことに、歌詞は1曲として覚えた記憶がありません。どんな歌でも、最後まで歌えるものはひとつもありません。記憶装置がここではあきらかに壊れています。歌うということがただ嫌だったのです。だから今日まで神宮球場に行かなかった、というのはちょっと聞き苦しい言い訳でしょうが、そうなんです。
5月29日、慶早戦を、ついに観戦。満塁ホームランというおまけもついて、慶應の圧倒的な勝利。小島さんたちと一緒に楽しく、戦況にぶつぶつ文句を言いながら、慶應を応援。
試合後に、もうひとつの感動をみた。エールの交換、それに塾歌を、勝利をかみしめながら、みんなが心をこめて歌う。なんたって10連敗後の勝利なのだ、格別なのだろう。それをみていて、歌うことも、いいものだな、と思った。歳かな。
日焼けし、顔がヒリヒリする。やっとこれで慶應社中の資格をゲットか。
(掲載日:2004/06/03)
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