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Magazine
2010.11.29

はじまりは、SFC

SFCスピリッツ

はじまりは、SFC

古市憲寿さん
東京大学大学院博士課程、有限会社ゼント執行役、SFC研究所上席所員(訪問)
2007年環境情報学部卒業

SFCには頭が上がらない。なぜって、「詩で賞をとりました。だからAO入試でSFCに入れて下さい」という僕みたいな訳のわからない高校生を、本当に入学させてくれたからである。SFCに入っていなかったら、僕の人生がどれだけ今と違う姿をしているかわからない。

僕は今、東京大学大学院の博士課程で社会学を専攻している。夏には『希望難民ご一行様』という修士論文をもとにした新書を出させてもらった。そこではピースボートという世界一周しただけで世界平和に貢献した気分になる船に乗る若者のことを分析した。なので一応、肩書きは若者論やコミュニティ論が専門の社会学者ということになる。

希望難民ご一行様

媒体に考慮してお世辞を言う訳ではなくて、これは7割くらいSFCのおかげなのである。

まず、大学院に行こうと思ったのは、今でも仲のいい長谷部葉子先生に勧められたから。なぜ東大に受かったかというと、交換留学で行かせてもらったノルウェーの育児政策に関する卒業論文がそこそこ評価されたから。卒論は、指導教官だった渡辺靖先生が面倒を見てくれなかったらどうなっていたかわからない。

留学しようと思ったのも、SFCに帰国子女や留学経験者がたくさんいて、海外に行くのが当たり前の環境だったから。そもそも社会学には、学生みたいな服装でキャンパスを歩いてる小熊英二先生の授業をとった時から興味を持った。

そして、大学院に籍を置きながら、SFCで出会った天才と一緒にコンサルティング会社もやっている。僕が入学した当時は、AO入試の合格者だけを集めた課題発表会があって、そこで出会ったリラックマみたいな男の子が、僕の会社の社長だ。僕自身は、マーケティングやIT戦略立案等に関わっている。

今、僕がしていることの多くは、SFCからはじまった。

それは別に、SFCそれ自体が何かを与えてくれた訳ではない。ただ、SFCという何だか訳のわからない場所と、そこに集まってきた訳のわからない人びとが織りなした、訳のわからないものに僕はとても感謝している。それは、東大というひどくカチッとした場所にも身を置いた今だからこそ、余計にわかる。こんなに、訳のわからないきっかけがあふれている場所は、そうそうない。

って、ファンレターみたいになっちゃった。

(掲載日:2010/11/29)