本堂をめざして、登廊(のぼりろう)の石段を上がった。399段だと聞いて、数えてみようかとも思ったが、歩いているうちに、拡がってゆく景色に目を奪われ、やがては足を動かすことに専念せざるをえなくなった。美しく整えられた登廊には、大きな灯籠が提がっている。11月の初旬、学生たちとともに長谷寺にいた。フィールドワークのために桜井市に逗留することになり、早朝の「勤行(ごんぎょう)体験」への参加を勧められたのだ。
意気揚々と上りはじめたが、途中で石段が険しくなった。本堂の前にたどり着いたときには、情けないことに膝が笑っているありさまで、学生には気づかれないように平静をよそおっていた。本堂に入ると、三連休だったためか、たくさんの人がいた。本堂は山腹に建てられていて、三方が大きく開かれている。ちょうど、日が昇るころだ。朝のひんやりとした空気が流れている。
ほどなく勤行がはじまった。僧侶たちが現れて(十数名いたのだろうか)、読経をはじめる。大太鼓と拍子木の音がリズムを刻み、読経の大きな声が本堂に響く。ぼくは、最前列で、しばし荘厳な音像につつまれていた。この勤行は、千年以上続いているという。
それほど信心深いわけではない。困ったときだけ、(自分の都合で)お願い事をする程度だ。だが、この場所に身を置いていると、なんだか頭が冴えてくるような不思議な感覚になった。そして、不意に哀しい気持ちがこみ上げて、自分をとりまいているたくさんの人の顔が浮かんできた。家族や友人、同僚、そして(この仕事をしているからとくにそうなのかもしれないが)これまでに出会った学生たち。思い出される順番も、つながりもまちまちだったが、30分ほどの勤行のあいだに、いくつかの再会を体験した。
くずおれてしまうほど、哀しい別れがあった。そのいっぽうで、飛び上がるほど幸運な出会いもある。もちろん、人にかぎったことではない。ぼくたちは、さまざまな出来事に出会い、別れる。課題に向き合えば、乗り越えようとする。ひとまず解決したと思うと、つぎの案件と出会う。なるほど、ぼくたちは、つねに出会いと別れをくり返しているのだ。
初めての「おかしら日記」を書いてから、1か月半が過ぎた。早くも2巡目である。すでに、いろいろな出会いがあった。学部創設から30年近い歴史をふり返って、年表をつくってみた。そして、歴代の「おかしら」や、カリキュラムの変遷を書き入れる。いつ、誰が、何を決めてきたのかを知るにつれ、じつに多くのやりとりや調整のおかげで〈いま〉がかたどられていることに、あらためて気づく。先人たちがつくってきた仕組みや慣例に触れるたび、変えたいという気持ちに駆り立てられることも少なくない。引き継がれたことも、知らなかったこともある。いまならまだ許されると思うが、しばらくしたら、「聞いていなかった」では済まされなくなるのだろう。
出会いがあるから、別れが来るのか。いや、それとも別れを受け容れなければ、変化は訪れないということなのだろうか。早起きして数百段の石段を上り、読経の声につつまれながら、いろいろと考えていた。足がしびれた。最後は、本堂から張り出している舞台から、山々を見渡した。きっといまごろは、紅葉で鮮やかに彩られているはずだ。