SFCキャンパス事務長に就任して一年がたちました。昨シーズンは台風の塩害で今一つだったタローツリーも今秋は美しく色づき、緑から黄色へさらに赤色へと日に日に紅葉していくタロー坂のグラデーションを堪能しました。
私にとって、湘南藤沢キャンパスの勤務は2回目となります。前回は、1996年から2000年までメディアセンターに勤務しておりました。当時はインターネット草創期、まだUNIXワークステーションの時代でしたが、ある時、村井先生がやってきて、ワークステーションにタカタカとコマンドを入力し「ほら、これがUC BerkeleyのOPACだよ」と蔵書を検索して見せてくれました。これが私のインターネットとの出会いでした。とても感激したのを覚えています。当時、海外の図書館の蔵書を調べるには、直接その図書館に手紙で問い合わせをするしか方法がありませんでしたので。
冬が来ると思い出すSFCでの1シーンがあります。あれはたぶん1998年1月8日のことでした。新年最初の出勤日、久しぶりの勤務で大量に届いた郵便物の整理などをしていたところ、気が付けば外は雪。降りやむ気配はなく、退勤時間の17時半には道路にかなりの雪が積もっていました。バスターミナルまでたどりついたものの、バス道路には延々と続くマイカーの車列。なかにはスリップして動けなくなっている車もあり、とてもバスが到着する雰囲気ではなくなっていました。私は帰宅を一旦あきらめ、メディアセンターに戻りかけましたが、同僚は「湘南台の駅まで歩く」とのこと。同僚を見送り、私はメディアセンターに戻りました。ところが、大雪による架線事故で小田急線は全面運休していたらしく、帰宅の手段を失った教職員・学生が次々とキャンパスに徒歩で戻ってきました。(当時、相鉄いずみ野線は開通していませんでした。いずみ野中央~湘南台が開業するのは翌年1999年3月のことです。)キャンパスには帰宅をあきらめた学生・教職員があふれ、本館では、キャンパス事務長が食料調達の指示を出し、大学に備蓄されている食料や防寒具が配布されました。すべての施設に暖房が焚かれ、あらゆる教室で机を寄せ集めた簡易ベッドに学生が寝ていました。私もメディアセンターの閲覧室の床に段ボールを敷いて泊まったのを覚えています。翌朝はきりっと冷えた快晴。早朝から宿泊した職員が総出で雪かきをし、気持ちの良い汗をかきました。SFCでの強烈な思い出です。
あらためて振り返ってみると、当時、すでにWebサービスは開始されていたものの有用な情報コンテンツはほとんどなかったのではないかと思います。今なら、気象情報も電車の運行情報もネットによりリアルタイムでとれますが、当時はその手段がなく、気が付けば大雪、駅まで歩いて初めて電車が不通であることを知るという状態だったのではないでしょうか。
先人の苦労をしのびつつ、災害時に適切な行動がとれるよう普段からの備えが重要だとあらためて肝に銘じる今日この頃です。