100 ⼈の教員がいれば、100 通りの「研究会(ゼミ)」があるのだから、えらぶのは難しい。 でも、えらぶことは、贅沢なことだ。まずは研究テーマ(学問領域)や⽅法論、成果物など を⼿がかりに「研究会」について調べてみる。シラバスは、「研究会」を知るための⼤事な 接点になるはずだ。授業を履修したり、⾒学に⾏ったり、あるいは友だちや先輩からの情報 (うわさ)を聞いたりするのもいい。さまざまな⽅法で、じぶんに合っている(と思える) 「研究会」をえらぶ。
きっかけや理由はともかく、まずは、学⽣がじぶんの「研究会」をえらんでくれることに感 謝したい。えらばれることは、嬉しいことだ。少し⼤げさに⾔えば、ひとまず他の可能性を 「捨てる」決断をして、えらんでくれたからだ。もちろん、もっと軽い気持ちでえらんでい る学⽣もいるはずなのだが、このさい、それは気にしないようにする。とにかく、ぼくはえらばれたのだ。
学⽣は、数あるなかから「研究会」をえらぶ。そして教員は、希望者のなかから、学⽣をえらぶ。それも、⼤事な決断だ。授業をとおして知っている学⽣なら、判断しやすい。レポー トや⾯談でわかることもあるが、わからないこともたくさんある。そもそも、「研究会」で活動するなかで、お互いに変わってゆくのだから、えらぶのは難しい。えらんだ⼈に、えらばれたい。えらんでくれた⼈を、えらびたい。理想的なのは、「えらび、 えらばれる」という関係だ。昨年の秋、ふとした思いつきで、「研究会」の学⽣たちに、下記のような課題を出してみた。
【課題】
(架空の話です) カリキュラムが改訂され、今後、「卒プロ」を修了するためには(つまり卒業するため
には)、3 名以上の教員による「アドバイザリーグループ」を申請することが義務づけられました。
あなたは、どの 3 ⼈とともに「卒プロ」をすすめたいと思いますか?
●具体的に 3 名の教員名(SFC で「研究会」を担当している教員に限る)を挙げる。
●なぜ、その 3 名なのか、じぶんの関⼼のあるテーマや⽅法論を紹介しながら、「ア ドバイザリー
グループ」が妥当であることを説明する。
期限までに、23 名から回答が提出された。なかなか⾯⽩い結果で、あれこれと考えるきっ かけになった。ところでこの課題、架空の設定ではあるものの、それほど突⾶な話ではない。 ⼤学院に進学すれば、主査と副査(2 名以上)によって指導がおこなわれているので、⽂字 どおり「アドバイザリーグループ」が必要になる。学部のカリキュラムも、「研究会」にかんしては、学期(半期)ごとに「移動」が許されているのだから、卒業するまでに複数の「研 究会」に所属する学⽣もいる。同じ学期に「掛けもち」している場合もある。だから、担当 教員を⼀⼈にかぎることなく、何⼈か頭に浮かんだほうがいいはずだ。
学⽣たちが誰をえらんだのか、簡単にまとめてみた。1 ⾏⽬は、同僚の先⽣がたの名前(イニシャル)、2 ⾏⽬は、その先⽣の名前を挙げた学⽣の⼈数である。たとえば、回答した 23 ⼈中 9 ⼈が YS さんをえらんだということだ。⾒てのとおり、続いて HI、TK、NM さんの 名前が挙がった。なるほど。すでに⼀緒に調査研究をしたり、「卒プロ」の合同発表会をし たりという関係を知ってか知らずか、「想定内」の名前が挙がった。組み合わせで⾒ると、 「YS・HI」「YS・MS」を「指名」した学⽣が、それぞれ 3 名、2 名だった。
結局のところ、23 名の同僚たちの名前が挙がった。たしか 100 名くらいは「研究会」の担当者がいるはずだから、仮にこの課題の設定どおりの仕組みになって、学⽣が⾃由に教員を えらべるようになったとすると、同僚のおよそ 4⼈に⼀⼈が、ぼくと⼀緒に「アドバイザリーグループ」を構成する、潜在的なメンバーだということになる。
じつは、注⽬すべきなのは「想定外」の名前と、教員の組み合わせだ。誰と⼀緒に研究テーマに向き合いたいのか、誰の後ろ盾を求めているのか。学⽣は、⾃由に教員をえらべばいい。 カリキュラムの案内を⾒ると、教員たちは、研究テーマに応じてゆるやかにグルーピングさ れている。「専⾨」を表すキーワードも公開されている。ぼくたちは、研究テーマが似てい たり、同じ学会に所属していたりすることで、同僚とつながってゆく。学内の会議や業務で ⼀緒になって、親しくなることもある。それは、いわば⾃然なつながりだ。 学⽣たちがえらんだ「想定外」の教員の組み合わせは、そうした既存のカテゴリーをしなやかに乗り越えて、あたらしい可能性を⽰唆している。もちろん、学⽣たちの思い込みやイメ ージで、教員の理解にもばらつきがあるだろう。無茶な組み合わせに⾒えるかもしれない。 だが、学⽣がじぶんの想いでえらんだ組み合わせは、教員にとって貴重なチャンスをひらいている。きっと、ぼくたちの経験では理解しえない、あたらしい「何か」に触れているのだ。 学⽣こそが、教員どうしのあらたな出会いやつながりをつくる。だからぼくたちは、えらばれることを楽しみにしながら、まだ⾒ぬ「想定外」の提案を受け容れる準備をしておくのだ。