25年ぶりにカンター教授と再会した。教授は『カンター教授のジレンマ』という小説の主人公だ。著者はウィーン生まれのユダヤ人、カール・ジェラッシ。ヒトラーの手を逃れて渡ったアメリカ合衆国で活躍した化学者で、科学者としてもノーベル賞級の業績を残している。Cantor's Dilemma は1989年に上梓され、邦訳『カンター教授のジレンマ』は1994年に出版された。執筆当時、ジェラッシはスタンフォード大学の名誉教授だった。
※以下、『カンター教授のジレンマ』の内容について、かなりのネタバレを含みますのでご注意ください。
ぼくは、大学院進学を決めていた学部最終学年の夏頃、研究室の先輩の勧めで、この本を読んだ(と記憶している)。『カンター教授のジレンマ』は、アメリカ中西部の大学(おそらくイリノイ大学)に研究室を構えるカンター教授が、ハーヴァードやMITといったあらゆる面で資源に恵まれた研究機関の科学者と激しく競争しながら、発癌過程の革新的な理論とその実証によってノーベル賞受賞へと駆け上がっていくさまを描いたフィクションだ。ノーベル賞の選考や式典進行の過程がおそろしく事細かに記述されており、その内幕を描いた読み物としてまず面白い。
また、超一流の科学者が書いただけあって、研究の着想から公表までの波瀾万丈、紆余曲折も詳細に描かれている。まだ1本の学術論文も書いた経験のなかったぼくは、カンター教授のアイディアを研究員スタフォードが並はずれた実験手腕で実証し、その結果をまとめた論文を『サイエンス』と『ネイチャー』のどちらに投稿するか議論し......という展開に胸を躍らせた。発癌過程を説明する独創的な論文が無事掲載されたのち、カンター教授は、同じ分野の有力な研究室で彼の実験結果を再現できないという報告に接する。そして、スタフォードの実験に手抜かりがあったかもしれないという可能性が明らかになる。世界中の分子細胞生物学者の喝采を集めたカンター=スタフォードの実験には重大な瑕疵があるかもしれない。早急に追試験を行い、彼らの結果が誤りだったのか、それともやはり正しかったのかを確かめなければならない。焦りが募る一方で、二人への評価は急激に高まり、ノーベル医学生理学賞の選考対象になったと噂され、ついにはとんとん拍子に受賞が決まってしまう。実験が正しかったという確証はまだない----いずれ自らの正しさが確認されると信じてこのままノーベル賞を受賞するか、論文に記載した結果の不確実性を告白して受賞を辞退するか----これが、表題となっているカンター教授のジレンマだ。自然科学者が経験しうる最大級のジレンマといっていいだろう。
これを縦糸に、作中では自然科学研究をめぐる多種多様な側面が描きだされる。登場人物のルームメイトにバフチンに傾倒する哲学の大学院生がいて、「自然科学の論文には、なんで1文字もテキストを書いていない人が著者に名を連ねているの?」とか「PNASという学術雑誌に自分で直接投稿できないのは何でなの?」とか、素朴な疑問を投げかけて自然科学者の言い分を「脱構築」しようと試みる。自然科学と人文科学の懸隔を炙りだすこうした掛け合いが実に楽しい。さらに、女性科学者のキャリア形成、終身在職権をめぐる駆け引き、助成金獲得のための権謀術策などがこれでもかとばかりに詰め込まれている。
そんなカンター教授に、ぼくは、科学者としてほとんど何も経験しないうちに出逢った。
----それから25年、戦略的にキャリアを積みあげたカンター教授とは似ても似つかぬ行き当たりばったりの道行きを経て、ぼくも大学教授になった。そして、南伸坊のユーモラスな装幀が施された懐かしい『カンター教授のジレンマ』に再び出遭い、小綺麗な古書を当時より1桁小さい対価で買い求めた。
四半世紀を経て再会した『カンター教授のジレンマ』には、多くの驚きがあった。25年という時の流れに伴う変化をそこかしこから感じられる。著者であるジェラッシは5年前に亡くなっている。
作中でカンター教授が理論の正しさを決定づける実験をスタフォードに依頼する場面で、彼は「今は Citation Index なんて便利なものがあっていいな、ぼくが君くらいの時は、Index Medicus しかなかった」みたいなことを言う。Index Medicus というのは、医学論文のタイトルだけを集めた分厚い書籍で、大昔はこういった二次資料を頼りに論文を取り寄せていた。もちろん郵送で。Citation Index は、ある学術論文を引用した論文をリスト化して検索できるようにした冊子体の「紙のデータベース」で、これの登場によって、取りかかろうとする研究に関連する先行研究を格段に効率よく見つけ出せるようになった。カンター教授の最先端は Citation Index だったわけだが、ぼくが通った大学の図書館も入口付近の書棚にはこうした二次資料がずらりと並んでいた。少し新しかったのは、PCが2台あって、毎月更新されるCD-ROMの医学論文データベースMedlineが使えたことだ。PCによる検索は革命的に便利で、当時はPCに慣れた人も少なかったため、1台を半ば占有してMedlineに貼りついていられた。
今日、これらのサービスはすべてインターネットから利用可能で、多くのデータベースが無料で全世界の市民に開放されている。最大の律速要素は情報の伝達速度ではなく、人間の処理速度に替わった。検索して見つけた論文も、郵送されてくるのをまんじりともせず待つ必要はなく、電子ジャーナルで即座にダウンロードできる。カンターとスタフォードは、投稿先の学術誌を選ぶのに、合衆国内と英国への郵送にかかる日数の違いを考慮の材料に加えていたが、論文投稿すらオンライン化された現在では編集部の所在地が問題になることもない。「PNASという学術雑誌」は、誰でも投稿できるようになった。速報誌的な位置づけだった『ネイチャー』『サイエンス』はウェブに補足資料を掲載することでフルサイズの論文が多数掲載される雑誌に変貌した。
リアルタイムのフィクションだった『カンター教授のジレンマ』には、25年という時間が科学者の環境にもたらした変化を実感させてくれる鮮明なスナップショットになっていた。
作中に仕掛けられた大きなウソも、今ならよく分かる。ノーベル賞の受賞対象となる理論はもちろん架空のものだが、その着想から実証、さらにはノーベル賞受賞に至るまでのプロセスがあまりにも短期間に進みすぎていて、1980年代の物語としてもありえない。ただ、カンター教授をジレンマに陥れるにはこのスピードが不可欠であり、この大きなウソを、リアリティあふれる多彩な周辺描写によって支えている。このあたりは、優れたSF小説に似た味わいがある。
自然科学と人文科学さらには社会科学の間に横たわる隔たりについては、SFCという稀なる場所で、ぼく自身ことあるごとに直面し、見聞きし、その多くを楽しんできた。SFCは小さな世界だが、広大だ。学術領域を越境した往還を、地方の単科医大生としてこの小説を読んだときには、文字どおり異国のできごとのように縁遠く感じたが、このキャンパスでは日常だ。この点に関しては、ぼくの25年間の経験は、老練なカンター教授をも凌駕したのではないか、と可笑しくなる。
変化していないこともある。アカデミアにおける女性の生きづらさは、具体的な状況は作中で語られるものと現況は異なるが、25年という時間に比してさほど変化していないように映る。自由で進歩的なキャンパスであるはずのSFCですら、女性教員の比率は未だに低く、ぼくがここにやってきた20年前と劇的には変わっていない印象だ。
そして、タイトルにもなっているカンター教授のジレンマは、実に今日的な研究倫理の問題そのものだ。しかも、意図的な捏造などと異なり、「誤っていたかもしれない」というとびきりグレーな状況が設定されており、科学に対して真摯であるからこそ、主人公たちは懊悩する。明確で正しい答えがないにも関わらず、自らの意思で何かを選びとり、責任を負わなければならない。倫理的選択とはそうしたものだろう。カンター教授のジレンマは、四半世紀を経て、より現実的かつ中核的な問題となっている。
----といった具合に、ぼくはカンター教授との再会をおおいに楽しみ、また考えさせられた。新しいものに出逢うのももちろん楽しいが、これからも、こうした「再会」に恵まれたい。
とりあえず、定年を迎えるころに、どうやら近所にお住まいだったらしい曾宮教授に再会したい、かな。叶うなら、瀟洒な映画館のオーディトリアムで。