いよいよ春学期が始まる。ほぼ誰もいなかった静かなキャンパスは、そのまま変わらず誰もいないままだが、オンライン上でたくさんのコミュニケーションが一斉に始まる。
私はといえば、ポストに配布されるはずのマスクを気にかけながら、さて自分の授業はどうするかと思案している。きっといまは、どんな先生にもありそうな日常だろう。
担当のひとつ、1コマ3時間の調査法の授業は、昨年まであたりまえに行っていた調査演習(長時間の対面接触)も分析作業(濃密なグルワ)も、そのままという訳にはいかなくなった。改めて考えれば、調査法の肝はそこだけではないので、このさい発想の転換をすればよいはずなのだ。ということはわかっているが、身体に染みついたクセはなかなか頑固なので、まずはそこと向き合わねばならない。そんな中に新たな気づきがあったりして、思わぬ機会に学び直すありがたみを感じる。
ついでにちょっと余計なことにも気が向いてしまう。オンライン授業とはいえ、いつもきちんとネクタイを締めてる先生は、自宅からでもスーツに着替えて行うのかな、とか。やっぱり、ヘンテコなものが映り込まないよう、みんな部屋とか掃除しちゃうのだろうか。子育て中の皆さんは、家で仕事をするのはきっと大変だろうな。我が家だったら、ハナチャン(猫、8歳)が「ナニ面白そうなことやってンダ」とニャーニャー画面に割り込んでくるに違いない。学生だって、何かポリポリ食べながら授業に参加しちゃってるのではないだろうか(あ、これは通常でも...)。そんなあれこれを想像しだしたら、オンライン授業も、画面の枠の外の物語と地続きだということに気がついて、勝手に張り詰めていた気分も少しほぐれてきた。
といった感じで肝心の準備が一向に進まないのだが、我らがおかしらから、SFCは最高の授業をするぞ!宣言がビシッと発せられたので、そうそう悠長なこともいってはいられない。多様性の高いSFCの場合、授業のあり方もまた多様に違いないが、多くの非常勤の先生方を含むSFCの教職員は、それぞれの最高にどうやって辿り着けるかと試行錯誤している。
とくに、同僚の皆さんが文字通り不眠不休の勢いで体制を構築して下さり、私たちは早速その恩恵に浴している。キャンパスには実に色々な機能があるが、いかに対面でしかできないことが多かったかにも気づかされる日々だ。ただ、仮に行き届かないところがあるにせよ、いまの枠組みに固執してやらない理由を考えるのではなく、どうしたら可能かと分野や立場を越えて知恵を出し合い、実践するのがSFCの真骨頂だと強く思う。いや、あらゆる大学がきっとそうであろうし、それが大学というところなのだと信じたい。ここは自粛する必要のないところだ。
大学だけではない。世界中の人が「直接対面せず社会を成り立たせる」ために知恵を出し合い、汗をかいている。新しい社会システムの構築といっても大袈裟ではないが、小さなクセを見つめ直す日々ともいえる。もちろん、この瞬間も現場で必死になっている人たちがおり、それを支えている人もいる。こうしたなかで、授業がはじまる。研究も続ける。正直いうと、おぼつかなさや様々な制約はあるのだけど、それができることの尊さや貴重さには代え難い。ここは、芝新銭座でのウェーランド経済書の、あの逸話を持ち出すまでもないことだろう。
いつもより少し遅くなったが、学部・大学院の新入生の皆さん、ようこそSFCへ。そして在学生には、お帰りなさい。いつもとかたちは違うものの、変わらぬ気持ちで皆さんを心から歓迎します。しばらくは、小さく、奥行きのない画面での出会いや再会となるでしょうけど、お互いの日常とこの先の社会への想像力を発揮して、いまできるコミュニケーションを豊かに繰り広げていきましょう。