ぼくは、甘かった。しばらくすれば、新緑のキャンパスに集い、賑やかな新学期を味わえるものだと思っていた。学事日程をはじめ、キャンパスの利用などについて会議を重ねるなかで、それはかなわないことがわかった。さまざまな事案があるので、情報の流れはいくつにも分岐し、話が複雑になっていく。じぶんがきちんと判断できているのかどうか、自らの状態さえもが気がかりになる。たびたび、同僚からの叱責(と励まし)も届く。
ほどなく「ゴールデンウィーク」がせまってきた。今学期はオンラインで開講することが決まってから、すでに1か月ほど経っていたが、会議や打ち合わせに時間とエネルギーを奪われて、授業の準備はほとんどすすんでいなかった。4月は、いろいろ大変だった。
授業は、オンラインで提供するしかない。そのことは受け入れながらも、なぜか「他人事」のようにとらえていた。それは、じぶんが担当する授業が、オンラインになじみにくいからではない。新型コロナウイルスの騒ぎで、とにかく「授業をすること」「授業を続けること」ばかりに気を取られていると、何か大切なことを忘れてしまうのではないかという懸念からだった。
もちろん、現場は大変である。いきなり無茶な要求が舞い込んで、授業のオンライン化に向き合うことになったのだから、困惑する同僚は少なくなかった。そのいっぽうで何人かの同僚たちは、機材を揃えて自室をスタジオのように設えはじめた。嬉々としたようすが、絶えずSNSに投稿される。オンライン講義のノウハウやコツを共有する動きも活発になった。そのモチベーションの高さやエネルギーには、頭が下がる。でもぼくは、依然として、オンライン化に盛り上がる機運を少し遠くから眺めていた。
昨年の暮れ、ある集まりで平高さん(この3月に定年で「卒業」)が口にした「教授力」ということばが、ずっと頭を離れなかった。「教授力」への問いかけは、ゲストスピーカーに頼りすぎたり、時流に乗ることばかりを優先したりすることなく、自身の授業の完成度を高めなさいという叱咤激励のように聞こえた。地に足をつけて、一人の力で授業を成り立たせよと鼓舞しているのだと思った。グループワークもフィールドワークの実習も、思うようにできない。ずっとイスに座ったまま、すべてが画面越しにおこなわれている。映像やさまざまな資料、アプリなどを駆使すれば、ぼくたちの身体感覚を拡げることはできるはずだが、視覚的な情報ばかりが肥大化を続けると、ますます足は萎える。ぼくは、オンライン化されても残るものは何か、守るべきものは何かについて考えはじめた。それは、「教授力」とは何かを自問することなのだと思った。
4月30日、授業がはじまった。初回のオンライン授業は、少し緊張はしたものの、とくに大きな問題もなくすすめることができた。学生たちは、ずっと待たされていたという感覚が強かったのだろう。ぼくの呼びかけに対して、活発に反応してくれた。たしかに、教室での授業とはずいぶんちがう。勝手がちがうので戸惑いつつも、学ぶことは多い。ひとまず数週間を終えて、わかったことがある。それは、(心持ちとしては)画面に向かってしゃべるのではないということだ。つまり、いくつもの顔が並ぶ平たいディスプレイを見るのではなく、その向こう側を想い浮かべるといい。場合によっては、カメラを止めてもいい。さまざまな技術的な可能性をできるだけそぎ落として、じぶんの〈声〉だけに意識を集めて、向こう側に届ければいいのだ。そう思えたとたんに、ずいぶん気持ちが楽になった。
「教授する」ことは、つまり「場」をつくることだ。空間については、それほど自由はない。だからこそ、ぼくは、〈声〉を頼りに時間をつくるのだ。毎回、遅れることなくオンラインの「教室」を開けて学生が来るのを待つ。決められた時刻になったら、話をはじめる。相手の顔も見えず反応をうかがうのも難しい状況で、それは、一人で暗闇に向かって叫び続けるようなものだと評する人がいる。だが不思議なことに、ぼくは(いまのところ)その孤独さを感じることはない。姿は見えないが、お互いに時間を出し合ってオンラインで集まっている。ぼくの〈声〉は、学生のもとへ。それに対して、質問やコメントという形で応えが返ってくる。じぶんの〈声〉が遠くにまで届けられていることを実感しながら、あっという間に90分が過ぎる。
ふだんなら、授業がはじまると慌ただしくなってストレスを感じたり愚痴をこぼしたりするのだが、今年はちがう。授業がはじまったおかげで、落ち着いた。ようやく、リズムを取り戻せるような気がした。