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2020.07.28

壁が取り払われた教室|総合政策学部長 土屋 大洋

Twitterが流行り始めた頃、SFCでは授業ごとにハッシュタグが作られ、授業の実況中継が盛んに行われた。ハッシュタグを集約すれば授業のノートが自動でできると考えた学生の提案だった。

実際にはそんなにうまくはいかないことがほとんどだったが、学生が授業中に何を考えているかが分かることが、教員側にはおもしろかった。教室に二つスクリーンがあれば、一つにはその授業のハッシュタグが付いたツイートを流し、質問やコメントを時々教員が拾ってインタラクティブに授業をするということも行われていた。その後は、Twitterに限らず、授業ごとに各種のチャット・ツールが使われたり、今ではSlackが使われたりしていることが多い。

2020年度春学期のSFCは全面的にオンライン授業を行った。WebExやZoomといったツールを使いながら、学生たちはチャットを駆使する。教員に質問やコメントを投げるだけでなく、学生同士で議論したりサポートし合ったりする。後で答えようと思っていると学生同士のチャットで解決していることも多い。

オンライン授業の結果、かつて密室で行われていた授業は、どんどん壁を乗り越えていく。教員も学生も、ほとんどが自宅からつなぐが、学生が実際にどこにいるのかは分からない。来日できない留学生もいる。政治体制が違う国にもいるだろう。

大学の教室は、自由な発言を促す密室だった。ここにいる人しか聞いていないという前提で、教員も学生も自由な発言ができた。特に規模の小さい授業や研究会では、自由な意見の交換が最も重視されてきたはずだ(無論、密室ゆえの問題もあっただろう)。しかし、ソーシャルメディアによって話は漏れるようになった。そして、オンライン授業はほとんど壁を取り払ってしまう。誰が聞いているか分からない、録画され、それが流出するかもしれないと思うとき、政治学や地域研究の授業での体制批判のようなセンシティブな対話は教員にも学生にも難しくなる。ソーシャルメディアで前後の文脈が切り取られた発言が出回れば撤回は難しい。

そんなことを考えていると、私のオンライン授業は少しぎこちなくなる。軽口をたたくことも難しいし、雑談を挟むのもはばかられる(しかし、SFCのほとんどの教員はそんなこと気にもしていないだろう)。

世界中から留学生を多く受け入れる米国の大学の多くも、当面はオンライン授業を続ける方針を示している。米国政府はどうやら撤回したようだが、米国の大学で学ぶ留学生を帰国させる方針が示されたこともある。もしそうなれば、世界の大学の様相が大きく変わっていたかもしれない。

教育は国の政策の根幹である。国が違えば、教える内容も方法も違うだろう。留学によってカルチャーショックを受けるのは当然だ。それこそが留学の醍醐味でもあった。しかし、今は自国にいながら外国の大学の授業を受けるのが当たり前になりつつある。

それぞれの国の価値観に根ざした教育が、国境を越えて行われるようになる。これは、興味深い現象だが、教育的な効果がどれくらい上がるのかはまだ分からない。かつて、私のところに留学してきた留学生が、「日本のメディアはなぜ自国の総理大臣の悪口をあんなに言うのですか」と聞いてきた。半年後、彼にはそれが当たり前だと理解できるようになった。自国にとどまったままの留学生が、こうした日本的感覚を身につけられるのだろうか。

オンライン授業は今のところ、匂いや味や熱を直接的には伝えられない。オンラインにとどまる留学生たちは、アメリカに行ってステーキを食べられず、中国に行って上海蟹を食べられず、来日して寿司を食べられない。無論、そうした外国の味は自国にいても味わえるだろう。しかし、本場で食べたという感覚は持てない。そうした文化的体験のない留学はリアリティを持つのだろうか。それでも外国の教育機関から届けられる授業に魅力を見いだせるのだろうか。そして、権威主義体制の国は、自由な発言を許す国の教育が自国に流れ込むのを懸念しないだろうか。

SFCの同僚教員たちの多くは、このままオンラインで良いと言い始めている。私はまだそこまで言い切れないマイノリティである。

このままCOVID-19の影響が続けば、世界中の大学がオンライン授業を続けるようになり、教育のグローバルな競争が加速するだろう。一時的には、政治的な体制の違いに基づく教育摩擦が起きるかもしれない。それを乗り越えた後は、オンライン授業が相互参照され、どの大学で授業を受けても代わり映えしないという大学受難の時代が来る可能性がある。

立地の悪いSFCにとってオンライン授業はメリットも大きいが、SFCに来ないと受けられない授業がなくなるとしたら心配だ(今はまだそういう魅力的な授業がたくさんあるが、やがて真似されていくだろう)。COVID-19の先にある未来の大学の競争が始まっている。

土屋大洋 総合政策学部長/教授 教員プロフィール