夏休みの夕刻、展覧会へ出かけた。事前予約制で会場に入る人数をコントロールしながらの開催で、会場へのエレベーターも最大6人まで。しかも、立ち位置を示して描かれた床の足跡マークは全員分、壁側に向かっている。こうしたちょっとしたことまで工夫するのも、日本で感染が爆発的には拡がらない理由なのか、などと思いを巡らせたがどうであろうか。
さて、新型コロナウイルス感染症のような新しい感染症では、正しいとされる情報が刻々と更新され、結果として、ある時点で発信した情報が、後に必ずしも適切ではなくなる。4月の時点では、「健康な一般市民には、マスク着用を推奨しない」としていたWHOが、6月に一転して、感染拡大を予防するには効果的として推奨に転じたのも、その典型だ。Lancet誌の6月27日号に掲載された「Physical distancing, face masks, and eye protection to prevent person-to-person transmission of SARS-CoV-2 and COVID-19: a systematic review and meta-analysis」と題した論文は、他の人との距離の取り方、マスク着用、眼の防護の3つの感染症拡大防止策の効果を、これまでに発表されている20,013もの文献から絞り込んで医療現場と一般環境に分けて評価、距離を1m以上保つこととともに、マスク着用が医療現場のみならず公衆衛生の観点でも、人から人への感染防止に有効と示唆されると報告し、これがWHOのメッセージ転換の根拠になっている。花粉症対策もあって外出時のマスク着用に対するハードルが低いわれわれ日本人にとっては何を今さらという感が強いが、そうではない社会にメッセージを出して、一定のコストを要する行動変容を促すには科学的エビデンスが不可欠ということなのだ。(それにしても論文の結語に、「きちんとした無作為化比較対照試験によるエビデンスが必要」、と記すのは、些かエビデンス至上主義で現実離れした感が拭えないが。)
そういえば、先の展覧会会場に掲示された予防対策の行動指針には、「フィジカルディスタンスの確保」とあった。前出の論文のタイトルもphysical distancingである。ハグするといった日常行動が稀な日本人にとっては、ソーシャルディスタンスより、フィジカルディスタンスの方が適切に感じられると思っていたが、世界的にも、本来持つ意味の異なる二つの語をきちんと使い分けるよう意識されつつあるのかもしれない。これも、時間とともにメッセージングが変わっていく一例だ。
感染の流行と向き合いながら、新たなエビデンスが書き加えられ、書き直され、取るべき対策が形作られていく。そんな状況下での情報発信には、難しさを実感することも少なからずある。しかし、多くの情報がSNS等を通じて瞬時に流通する現在、情報の確定を待って発信に躊躇するのではなく、情報を吟味しつつもスピード感のある発信こそが、社会からの信頼獲得に必要であろう。気がつけば、秋・冬のインフルエンザシーズンが視界に入ってきた。