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2020.09.15

正義の相克|メディアセンター所長/総合政策学部教授 廣瀬 陽子

新型コロナウィルス感染症問題が世界を揺さぶり始めてから、既に半年以上が経過したが、この新しい脅威に対抗するための完璧な手段をまだ誰も見出していないと言える。8月11日にロシアが新型コロナウィルス感染症対策用のワクチンを承認したが、それはまだ臨床試験の第3段階が終わっていない代物であり、懸念の声の方が大きいだけでなく、ワクチンの効果も定かではない。また、抗体の効果すら証明されていない。このような「分からないことだらけ」の状態で、世界は最善の解決法、対策を模索している。

そして、アメリカのドナルド・トランプ大統領はじめ、世界の多くの政治家やマスコミが、このコロナ禍を「戦争」に擬えている。戦争・紛争を研究してきた立場からすれば、簡単にコロナ禍と戦争には大きな違いがあり、同一視すべきではないと思うが、強大な敵と日々戦い、コロナ禍が収束するまでは自粛など多くの制限を甘受せねばならない現実を考えれば、そのような比喩を使いたくなる気持ちもよくわかる。また、その解決策を模索する上で、「正義の相克」という要素が共通して現れてくることも指摘できると思う。

戦争や紛争を解決することは極めて難しい。戦争や紛争の当事国や当事者は、それぞれの「正義」があるが、それは戦闘相手にとっては「相容れない」ものだ。さらに、仲介などする第三国が提示する「正義」は、当事者たちにとって、全く受け入れられないことも少なくない。そのため、交渉では関係国・関係者の言い分、すなわち「正義」を最大限尊重しつつ、それぞれに譲歩を求め、皆が妥協できるギリギリのポイントを模索することになる。しかし、皆が許容可能な妥協点が生まれることは稀で、だからこそ未解決の戦争・紛争や凍結された戦争・紛争が多く生まれてしまうのだ。

そして、新型コロナウィルス感染症の対策が検討される際に、必ず出てくるのが、「経済」を重視するか、「感染拡大を予防すること」を重視するか、という立場の違いである。この二つの「正義」はどちらも重要で、どちらも正しい。しかし、前者を重視すれば、感染が拡大して多くの犠牲が生まれてしまうし、後者を重視すれば、経済が立ち行かなくなり、倒産、失業などが大量発生して、それこそ自殺者などが後を絶たなくなるかもしれない。そして、各国政府がこのバランスの取り方に苦悩しながら対策を講じている。様々な政策がとられ、分析もなされているが、現状ではそれら政策の成否については結論が出せない状況だ。

そして、戦争の解決を模索する上でも、コロナ問題の対策を講じる上でも、必要なのは「総合政策学」的アプローチだということを、強く認識する。これらの対策を考えるためには、重層的かつ広範囲に原因を捉えて分析すること、また、長期的視点が必要であり、ある施策がドミノのように広範囲に影響してゆくことを想定しつつ、総合的な判断を下す必要がある。総合政策学の叡智が、今求められていると言える。

コロナ禍において、100年前のインフルエンザのパンデミック、いわゆる「スペイン風邪」がしばしばメディアなどで取り上げられているが、当時も、人々は対処法が分からず、新しい脅威に対して適切な対処ができていなかったようである。第一次世界大戦中という非常時だったことも感染拡大に拍車をかけたが、例えば、今ならば避けるのが常識となっている「三密」を避ける知識などもなかったようで、普通に大勢の人が集ったりして感染症が広がったようだ。それを、100年後の私たちは、「歴史」として捉え、人類が乗り越えてきた感染症の数々に思いを馳せる。そして、100年後の私たちの子孫は、このコロナ禍をどう見るのだろうか。「そんなことも、分からずに、そんな対応をしていたのか?」と思われないよう、国際的に協調しながら、総合政策学的な最善の対抗策が1日も早く生まれることを祈るばかりである。

廣瀬 陽子 メディアセンター所長/総合政策学部教授 教員プロフィール