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2020.10.06

0466からの電話|総合政策学部長 土屋 大洋

18時前、机と椅子がゆったり配置された大きな会議室に着いた。机にはアクリル板と箱弁当が置かれている。研究会が始まるまで雑談していると、ポケットの中で携帯電話が振動した。番号を見ると、市外局番0466から始まっている。この時間にSFCからかかってくる電話は良い知らせではない。

廊下に出てコールバックすると、緊急会議を招集するからオンラインに戻ってこいと言う。研究会の主査、主催者、報告者に謝ってすぐに会議室を出る。研究会の箱弁当を食べそこななった。ビルの地下にある中華料理屋に飛び込んで持ち帰り弁当を作ってもらう。割引してくれた主人に礼を言って、暗くなった三田キャンパスに急ぐ。周りに音が漏れない部屋を探して19時からオンライン会議。インシデントの深刻さに頭を抱える。

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23時に近づく頃、巡回警備員がやってきて退出を促された。まだ会議はオンラインで続いている。SFCでは何人もの職員と教員が残って対応を考えてくれている。結論は出かかっているが、まだ皆が納得しているわけではない。ひとまずの結論を出して、オンライン会議は解散になった。帰宅を急ぐ。

帰宅中にも、スラックの着信を示す携帯の振動が続く。帰宅し、23時半から予定していたオンライン会議をリスケジュールし、いくつかの連絡をしてから布団に入る。しかし、気になって眠りが浅い。

夜の間に対応してくれていた情報を確認し、朝8時半から昼までに四つのオンライン会議に参加する。9時からの会議で昨晩のとりあえずの結論から方針転換することにした。

午後から多くの同僚教員が参加するオンライン会議が三つ。それぞれで手分けして対応案を説明。混乱は避けられないが、協力して対応することで多くの同僚たちが納得してくれたように思う。そして、授業を始めたいという同僚たちの強い意欲に圧倒される。皆、授業が好きなんだなあ。

ベストな選択が行えたのかはいまだに分からない。これからも状況は動くだろうが、注意深く進むしかない。20時前に会議はお開きになった。

夕食をかき込んで、20時半からオンラインに戻り、状況認識を交換し合う。そして、21時から最後のオンライン会議。画面の向こうでは70代半ばの元米国政府高官が元気に話している。彼のアドバイスを得るべくSFCの大学院生たちが自分の研究成果をぶつけている。議論は23時まで続くが、もう私の頭は英語を認識できず、何かが耳を通り抜けていくという状態だ。しかし、院生たちが必死に質問に答えようとしている姿には勇気づけられる。

その裏で、同僚たちはオンライン会議を続け、詳細を詰めてくれていた。

こうしたことがしょっちゅう起きるわけではないが、COVID-19に重なったインシデントは学生にも授業担当者にも、そして裏方として支えてくる職員たちに特に大きな負担となる。しかし、緊急事態にさっと集まり、自分の都合を差し置いて徹底的に対応を協議してくれる同僚たちの存在がとても頼もしい。普段は意見を合わせるのが難しいと思うこともあるが、キャンパスを動かしていこうという気持ちに差はない。

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この写真は2011年3月18日、東日本大震災の1週間後、その対応について協議している様子だ。左から、富山優一湘南藤沢キャンパス事務長、花田光世総合政策学部長補佐、徳田英幸大学院政策・メディア研究科委員長、國領二郎総合政策学部長(後ろ向き)、村井純環境情報学部長、熊坂賢次環境情報学部長補佐だ(いずれも当時の肩書き)。緊急事態の際、私たちは力を合わせて前に進む。これがSFCに息づくスピリットだ。

学生の皆さん、授業が遅れてごめんなさい。今学期、教員は精一杯授業を展開します。不自由もあると思いますが、大いに学んでください。

土屋大洋 総合政策学部長/教授 教員プロフィール