SFCにはGIGAというプログラムがある。英語で全ての卒業単位が取得できるプログラムで、2011年に環境情報学部で開設してから今年で10年目になる。徐々に規模が大きくなり、2015年には総合政策学部にも広がった。当初は科目数が少なく、学生には迷惑をかけてしまったが、今では多くの授業がGIGAの枠組みで開講できるようになった。教員は、最低1科目はGIGA科目として英語で授業をすることになっている。
ちょっと話はそれるが、最近になって、政府がICT教育のプロジェクトに同じGIGAの4文字をつけている。ちょっと、モヤモヤしている。私が所属している大学院のデザイン系プログラムにはXD(X-Design)という名前が付いているが、2007年に作られた直後、他の美術系大学や広告代理店にもそっくりなお名前の組織が立て続けにつくられていた。多分、そういう話はどこにでもあるのだろう。良識と矜恃の問題だと思う。
話を戻すと、10月の頭にGIGAプログラムの父母向けオンラインセッションがあった。冒頭に学部長の挨拶があり、国際担当の教職員による詳しい説明があり、質疑応答という流れだった。たまたまキャンパスで仕事をする日だったので、セッションが始まる30分前にサブウェイでお昼を買うことにした。出来上がるのを待っていると、研究科委員長の加藤先生がやってきて、サンドイッチの列に並んだ。二人で大学運営の話をしているうちに、意識の中心はサンドイッチからおしゃべりへと移り、無意識のうちに支払いを済ませていた。
二人の部屋は同じフロアにあるので、話しながら歩いていると、いきなりゴツーンと重たい衝撃が走り、目の前が真っ赤になった。目の前に螺旋階段の裏があることに気づかず、階段のステップの尖ったところに額をぶつけてしまったのだった。痛みはそれほどないのだが、流血がすごくて驚いた。大仁田厚も真っ青な量だったのだ。やさしい加藤さんは私をそのまま保健室までアテンドしてくれた。
「これは縫わないとなりませんね」ということで、応急処置で止血してもらった。傷口が額よりも上だったので、包帯は前後を取り囲む形ではなく、上下にグルグルと巻くことになった。これがまったく情けない姿だったのだろう。加藤さんは心配しながらも、笑いを堪えきれない様子だった。心配と笑いが同居した表情を見て、私の心配もずいぶんと和らいだ。
GIGAの父母向けセッションは直前に迫っていた。この情けない姿で冒頭の挨拶をするしかなかった。まずは学部長室に戻り、身体を休めた。少しクラクラしていたので、頭を冷やしていたらあっという間に開始時間を過ぎていた。オンライン配信のページを開くと、土屋さんが総合政策学部長として挨拶しているところだった。カメラをONするとざわつかせてしまうことが容易に想像できたので、OFFのまま参加することにした。
私が話す時間になり、さすがに映像を出さないわけにはいかないので、カメラをONにした。その瞬間、Zoomには驚きの表情が升目状に並ぶことになった。手短にメッセージを伝え、Zoomから離れた。学部長秘書の可愛らしい車に乗せてもらい、病院に向かった。不幸中の幸い、階段が目に刺さらなくてよかった。
人には死角というものがある。どんな車でも死角はできるので、ルームミラーとサイドミラーを確認し、自ら振り返って目視することも忘れてはいけない。人には盲点というものもある。今まで見えていたものが、ある状況で見えなくなることもあるから、文脈の前後をしっかり確認する必要がある。人によっては視野が欠損している場合もある。かつて見えていた風景が、病気や障害によっていつの間にか見えなくなってしまう。しかし、恐ろしいことに、本人がその欠損に気づくことは稀だ。
精神的な意味でも、死角、盲点、視野欠損は誰にでも起こりうる。光の束は網膜に活実に届いているのだが、それが意識の領域に上がってこなかったり、知識や経験の欠如でその本質が捉えきれないこともある。見えているようで、見えていないのだ。