海が見えると思っていたのに、見えたのはうっすらと富士山のシルエット。聞こえてくるのは波の音ではなく航空機の爆音で、この段階で少し嫌な予感がしていたように思う。笹久保というところを経由して、たしか25分くらいかけて到着した。ほぼ同じ年頃のバスの乗客は、ギュウギュウの不安の詰め合わせみたいになっていた。31年前の春、最初にキャンパスに来た日のことだ。
昨日植えたばかりのような並木のスロープを昇ってキャンパスに着くと、今も変わらないΑとΩの建物、その間に流れる滝、そしてくす玉が迎えてくれた。ちょっと嬉しくなって、足取りも誇らしく階段を進むと、目の前のフェンスが壁になって行く手を阻んでいる。このとき、竣工済みの建物は、先の2つとκειοとΣ館だけで、しかもιοの低い方はまだ壁の向こうだということを知る。Σ館には、図書室と体育室と食堂と生協がぜんぶ小さく同居していた。正面は今と変わらぬ景色だけど、裏に回ると何もない。他にあるのは大きな水たまりにしか見えない池だけだ。つまるところ、ぼくたちは建設現場に入学したのだった。
いま冷静に振り返れば、事前に与えられた情報は、赤表紙で白黒の別刷りパンフ、唯一のリアルっぽい「キャンパスの完成予想模型の写真1枚」しかなかった。たったそれだけを頼りに、それぞれ勝手に想像力を膨らませて来たのだから、それはほぼ妄想といっていいと思う。説明しようのない根拠薄弱な直感に賭けたのだ。およそ1000人の勝手な妄想はそれぞれ違っていたはずだが、たとえそれがどのようなものであっても、目の前の状況がそれとまるで違うということだけは共通していた。
ぼくたちは大学という場所に来たはずだった。そこには、知的好奇心を満たし探究する環境、それと夢のキャンパスライフがあるはずだった。
前者は、およそ50人の先生方が全力で向き合ってくださった。合い言葉は「三田とは違う」だ。しかし、ぼくたちはそもそも三田を知らない。「違う」ことだけを手がかりに、余白や行間を妄想で埋めるしかなかった。1週間でたった25科目ほどの授業も、サボるという通常の大学文化を先輩から継承していないので、(他にやることもないし)おおむね熱心に出ていたように思う。グルワというのはこの時からあった。なにせ遠方なので、帰宅して翌朝のインテンシブに来るのが馬鹿馬鹿しく、帰らない方が効率的。残留というのも、こうしてやむにやまれぬ事情から起こった。最初に三田文化がもたらされたのは、「エグい」というヘンな言葉だったと思う。
問題は後者だ。妄想しかない若者が取るべき行動は、まずあたり構わず文句を言うことだ。ところが、ちっとも「湘南藤沢」じゃないじゃないですか!といえば、マーケティングを勉強しろと井関利明先生(元総合政策学部教授/学部長)に斬り返された。電車が来るなんて嘘八百じゃないですか!といえば、いつとはいっていないでしょ。まぁ見てなさいと加藤寛先生(初代総合政策学部長)に笑って諭された。挙げ句、自分で選んで来たくせに、環境情報ってなんだかよくわからない!といえば、熊坂賢次先生(元環境情報学部教授/学部長)が中心(たぶん)となり、「冒険しない羊たちをめぐる(山羊さんの)冒険」というお手製絵本が配られて煙に巻かれた。勝てない戦を挑んだ学生もどうかと思うが、先生方はこうしたあれこれに(斜めから)向き合ってくださって、状況は何も変わらないけれど、不安は少しほぐれたように感じた。
文句をいっても埒があかない。何より選んでしまったぼくたちにはもう逃げ場がない。あてずっぽうの賭けに勝つためには、もう現実の方を変えていくしかない。研究とか就職とか、そんなことよりも、まず妄想いっぱいのキャンパスライフを我が物にする必要がある。
キャンパスライフといえば、要するにサークルと祭りだ。これも、サークルがないじゃないですか!と文句を言えば、先生から、そりゃ当然だと真顔で返され、自分たちで考えなさいといいつつも、サークルを作る会をやればという助け船を出して下さった。学生がΩの円形の教室に集合し、教壇から「サッカーやりたい」「映画撮りたい」と次々に呼びかけ、それに呼応してぞろぞろと集団が作られた。活動の仕方や場所はそれから考えた。
お祭りも必要だ。地元のお祭りにもたいして行ったことないくせに、浴衣とやぐらと花火があればそれっぽいなと思ったのだった。朝から浴衣で授業に出て(下駄がやかましいと怒られ)、夕方の授業を一斉休講にしてもらって(当時は平日の授業日にやっていた)、またぞろぞろと小さい空間に参集して大いにカタルシスを得た。こんな感じで、ラジオもやったしLaTexでミニコミ誌づくりもやった。そういえば、江藤淳先生(元環境情報学部教授)に、ミニコミ作るのでなんか原稿書いて下さいと、出版社なら即クビになるようなことも平気でいっていたなぁ。
いま、ずいぶんひとの減ったキャンパスに来るたびに、不思議とあのときの光景が浮かんでくる。そうか。ぼくたちはあとさきも考えず、いつもつくってばかりいた。いまだってそうだし、20年後を想像している人もいる。「キャンパスライフ」というには、あまりに色々なものが欠けているキャンパスだけど、学生と向き合いながら、またなんどでもつくればいいのだろう。たった31年しか経っていないのだから。