「コロナ禍で2020東京オリンピック・パラリンピックは本当に開催できるのか,今,我が国は壮大な社会実験を行おうとしている.」
前回の本稿で私はこのようにコメントした.選手たちを安全な空間に閉じ込める"Bubble(泡)作戦"に命運を賭けたわけだが,この作戦は成功したようにみえる.オリンピック大会では,選手を含めた大会関係に対し,のべ約62万4000件の抗原またはPCR検査が実行され,陽性者は138人(0.02%)と報告された.来日後の選手で,コロナの影響により試合に出場できなかった選手は19人.この数値の解釈には様々な意見もあろうが,同時期の首都圏の感染状況を考慮すれば,誇るべき結果だと私は考える.一方,五輪誘致のキーワードであった"オモテナシ"はどうだったか?これにも様々な意見があろうが,気がついてみれば国民に対しての最大のオモテナシをしてくれたのはアスリート達であった.試合ができる喜びと感謝,互いの健闘を称え合う姿,そして,金メダル獲得で喜びを爆発させる様をみて,多くの国民が心を揺さぶられたに違いない.そう,コロナ禍で我々は長いこと"心を揺さぶられる"という感情の動きを忘れていたのだ.それを思い出させてくれたのが,アスリートたちの輝きである.ただ,無念だったのは無観客という判断になったこと(緊急事態宣言というオマケ付き).1年の猶予が与えられた中で,この最悪のオプションを回避するために準備がなされると信じていたのだが,結局,国民の実体験を2020東京大会のレガシーとして残すことはできなかった.空前の物量を投入したバブル作戦やワクチンという武器がありながら,観客を入れるための戦略的最大努力がなされていたのか?明確なメッセージが感じられなかった点も残念である.五輪大会直前に開催されたサッカー,バスケットのテストマッチでは,普通に一定数の観客が入って応援していた.大谷翔平が出場した大リーグオールスターはフルハウス.もう少しやり方があったのではないかと思うのは私だけではないだろう.
選手へのオモテナシも少なからずの混乱があった.暑さ対策はかねてからの課題であったにもかかわらず,具体的施策がないまま"なんとかなる"の方針が貫かれた.大戦時の兵站軽視が私の頭をかすめる.案の定,炎天下の有明テニス会場では"もう無理!"と言い出す選手が続出,屋根が閉じない新国立競技場で真昼に予定された女子サッカー決勝は参加チームから事実上ボイコットに近いコメントが出されるに至った.これら"外圧"によって急遽,時間変更,会場変更などの措置が取られたが,暑熱環境は多くの有識者が事前に指摘していたリスクであり,アクシデントではない.外圧によって初めて動く体質は黒船来航以来,あまり変わっていないのかもしれない.
ところで,日吉キャンパスの英国オリンピック・パラリンピックチームの事前合宿受け入れは,関係者の献身的努力もあって見事にやり切ることができた.特に義塾側の"can-do attitude"は英国チームから高い評価を受けたと聞いている.一例を紹介しよう.オリ・パラを問わず,コロナ陽性者は隔離となるが,パラ選手の場合,ハンディキャップの程度が多様な点が隔離対策において大きな問題であった.来日後,英国チームと話し合う中,隔離部屋はバリアフリーなのか?車椅子選手はトイレ,シャワーが使えるのか?知的障害,視覚障害等の選手は自立して生活できない.介助者の面会は許されるのか?などの質問が続出したが,自治体(神奈川県)の用意した施設はこれらに十分に応えられるものではない.さて,困った.これは対応を誤ると人権問題にも発展するというのが日吉側の一致した意見.その後の日吉運営サービススタッフの動きはまさにexcellent job!横浜市にも協力も仰ぎ,災害時に利用するプレハブ型障がい者用シャワーブースを取り寄せ,協生館バルコニーに設置する一方,協生館内スペースを工夫し,陽性者と介助者を隔離できる"スイートルーム"を作り上げ,これらを一体としてバブルで包んだ.連合三田会で鍛えられた設営技術が威力を発揮した場面であるが,それとともにシャワーブースを無償でレンタルし,大阪から運搬までして下さった株式会社タニモトの谷本 和生代表取締役社長には感謝の言葉もない.ちなみに,この方は慶應義塾にも,オリパラにも,縁もゆかりもない方である.日本人の心意気を英国人も感じ取ってくれたに違いない.
幸い,ひとりの陽性者も出さず,事前キャンプは終了した.約4年間に渡って準備してきた大仕事が終わったのである.日吉キャンパス教員・職員の方々はもちろんのこと,コロナ下で最大限の交流方法を思案したボランティア学生,施設提供に協力してくれた体育会学生,運営に協力いただいた提携業者の方々,横浜市の担当者の皆さん,全てが一体となった結果,最高のオモテナシが出来たと確信している.