大学教員の仕事は、(1)研究、(2)教育、(3)運営の3つに大別される。そのうち研究と教育は人目に触れる機会も多いので比較的想像しやすいだろう。しかし、大学の運営に関してはどうだろうか。SFCでは、カリキュラムに関することはカリキュラム委員会、人事に関することは人事委員会というように、扱うトピックに応じて委員会が組織されている。自分が割り当てられた委員会のことであれば、やっていくうちに誰が何をやっているのか段々わかってくる。しかし、一度もやったことがない委員会に関しては、たとえ専任教員であってもよくわからないことが多い。
現執行部に入る前、私は7年間で約20の委員会を経験した。年度によっては同時に10を超える委員を担当したこともあった。SFCでは毎週水曜が委員会の日と決まっているのだが、多いときは朝から晩まで休みなく委員会で埋まることもしばしばであった。当時私は不満だった。なんでこんなに委員会が多いのだろうと。少なくとも私は、SFC全体の委員会の総数さえも知らなかったから、自分が見える範囲の情報だけを見て、不公平感すら感じていたのである。今から振り返れば浅はかだったとしか言いようがないのだが・・・。
現執行部に入った後、まずは委員会の全体像を把握したいということで、データ・ドリブン・キャンパス・タスクフォース(以下、DDC TF)をつくった。タスクフォースというのは特定のタスクにフォーカスした期間限定の委員会のことである。DDC TFのタスクは、どの教員がどの委員会に割り当てられていて、年間どのくらいの負担時間があるのかを一覧にして可視化することであった。
SFCの委員会の総数と委員名簿はすでにデータ化されていたが、本当に必要なのは各教員の負担時間数である。委員会ごとに開催の頻度や時間が異なるため、各教員の委員会の負担数よりも負担時間数を見たほうが実態に近いからだ。そこで、アーカイブされている委員会の議事録をひとつひとつ手作業であたり、各委員会が年間何度開催され、各回何時間程度会議をしているのかを調べた。もちろん委員によっては、会議時間以外にも作業している時間もあるだろうが、そこまで議事録には残っていないので、あくまでも目安として負担時間数は会議時間だけに絞った。また各委員会の委員長は事前準備などの負担があるので、一律に委員の負担時間の2倍の時間を見積もることとした。
さて、これでデータは整った。いったいSFCには全部で何個の委員会が存在するのだろうか?答えは、121個である(2021年6月時点)。内訳はSFC内部の委員会が44個、タスクフォースが8個、全塾の委員会が69個である(全塾の委員会はSFCの教員が少なくとも1名委員となっている委員会のみリストアップした)。そしてすべての委員会の委員の総数は1018人であった。これは各委員会に平均8.4人の委員がいる計算になる(委員長含む)。次に負担時間を見てみよう。すべての委員会のすべての委員の負担時間を合計すると、年間で15047.5時間となった。これは各委員会で年間あたり平均124.4時間の負担時間となる計算になる。
ではいよいよ、教員一人あたりの委員会負担個数と負担時間を見てみよう。SFCの専任教員の数は106名である(2021年6月時点)。したがって、すべての専任教員が平等に委員を負担すれば、専任教員一人あたりの委員会の負担個数は平均で9.6個、負担時間は平均で年間142時間である。先に私は、同時に10個の委員会を担当していたことへの不満を述べたが、単に平均的な仕事しかしていなかったということになる。データを作りながら自分の浅はかさに愕然とした・・・。
さらに興味深かったのが、負担の偏りである。当然ながら?すべての専任教員が平等に委員を負担するのは難しい。負担時間の多い人から順にソートして負担時間の片対数グラフを作ったところ、見事に線形にプロットされた。それはつまり、負担が多い人ほど、負担時間が指数関数的に増えていることを意味する。実際、パレートの法則(80:20の法則)とまではいかないが、2020年3月時点では、仕事全体の80%を38%ほどの教員で負担するという状況であった。その後、学部長がこのデータを参考にしながら委員の任命を行ったところ、2021年6月時点で、仕事全体の80%を51%ほどの教員で負担する状況まで偏りは改善された。
ここまで、やや露悪的ながらSFCの委員会の実態について述べてきたが、データを可視化して痛感したことは、見えないことへの想像力の足りなさである。10月から新執行部となり委員会の体制も一新されるが、委員会はどれも必要なものばかりだから、委員会の総数や負担時間はさほど変化しないだろう。つまり、すべての専任教員が平等に委員を負担すれば、専任教員一人あたりの委員会の負担個数は平均で9.6個、負担時間は平均で年間142時間であることは変わりない。個人的にはすべての教員の負担が平等でなければならないとは思っていないが、少なくとも私としては、これからもいち教員として、見えないことへの想像力を働かせながら、研究や教育はもちろん、大学運営にも貢献していきたい。