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2021.10.26

言語学バーリ・トゥードに学ぶ|看護医療学部長 武田 祐子

オンライン飲み友達(大学時代の友人)の編集者からのお薦めで「言語学バーリ・トゥード(川添愛 著、東京大学出版会)」を読んだ。副題に「Round1 AIは『絶対押すなよ』を理解できるか」とあり、思わず背中を押された勢いで読み始めたが、笑いの中に学ぶことも多くあり、おかしら日記のお題とさせていただくことにした。
20211022武田先生画像.jpg本文に「バーリ・トゥードという用語について、まったく説明がない」ことに「クレームがついた」とあるので、まずは引用しながら紹介したい。

東京大学出版会創立70周年記念出版という本書は、出版会が毎月発行している「UP(ユーピー:University Pressの頭文字)」という冊子の連載をまとめたもので、連載名は担当編集者が「何を書いてもいいですよ」と言ったことに由来し、ポルトガル語で「何でもあり」を意味する「バーリ・トゥード」となった。と、書くともっともらしいが、著者および担当編集者が共に格闘技ファンで、「バーリ・トゥード」は"ルールや反則を最小限にした"格闘技のジャンルを示す言葉であり、両者の間では何の疑問もなく連載名として採用されたようである。その命名からして、格闘技知らずであっても、読み手としての期待は高まる。

16編が掲載されているが、その中から、本書副題でもある「 AIは『絶対に押すなよ』を理解できるか」を取り上げてみたい。「意味(各単語の辞書的な意味や文そのものが表す内容)」と、話し手が聞き手に伝えたい「意図」について綴られ、「意味と意図のずれ」は日常的にみられ混乱をもたらすが、その代表例(ここでは正反対の意味)として表題の熱湯風呂が挙げられている。

そして、言語を通して学習していくAIにとって、適切な「意図」にたどり着くことはかなり難易度が高いものとしている。私たちは意図を推測するとき、「常識だったり、その場面や相手や文化に関する知識だったり、それまでの文脈だったり」を使っているからである。「AIにいくら言葉そのものの意味を教えても、それだけで意図を推測するためには不十分」であり、「意図を特定するための手がかりが、言葉そのものの意味の中に入っていない」ことにはAIが学習を重ねても意図を推察することはできないのである。

看護の臨床では、様々な人々との対応が求められ、そこでは表面的な「意味」ではなく、「意図」をとらえる能力が求められる。看護師は、医療の現場で患者に最も近い立ち位置にいると自負し、その擁護者としての役割を担うべき患者を深く理解したいと努力を重ねているが、患者は思いや考えを率直に表現してくれるとは限らない。何か心配事あるいは不満・不信を抱えていたとしても、忙しく立ち振る舞う医療者を前に「大丈夫です」「変わりありません」などと応じていることは多い。医療者は素直に(?)「(問題なく)大丈夫です」「(不調なく)変わりありません」と捉え、あるいは、本人がそう言っているのだからと深掘りしないことも多いように思われる。患者の本音は「(どうせ言ってもわかってもらえないし我慢するから)大丈夫です」「(昨日と同じくらい辛いのは)変わりありません」と言っているのかもしれない。

エキスパートの看護師は、「大丈夫です」「変わりありません」の言葉に、患者の受け答えのみで判断するのではなく、その声のトーンや表情、それまでの経過やその人の性格傾向を把握したうえで、「無理はしていませんか?」「随分と頑張っていらっしゃいますね」「昨日から○○が続いていたけれどもどうですか?」「一人で頑張らなくてもいいんですよ」等と言葉がけすることができる。その言葉に、患者は「気づいてくれていたんだ、私のこと看てくれているのかも・・・」と、看護師が気にかけていることが伝われば、「実は・・・・」と、自ずと本音の思いや考えを話してくれるようになる。

AIの導入が進められ、多くの知的職業がAIにとって代わられるのではないかという危機感が囁かれる中、五感を使って、その人自身を全人的にとらえ、深い洞察の中で対応していくことは、患者の持つ力を最大限に発揮させる看護の働きの糸口であり、AIとは一線を画した看護の技(art)として大切にしていきたい。

武田 祐子 看護医療学部長/教授 教員プロフィール