何年前だったろうか、『高汐非実在説』がSNS上でまことしやかに語られていた時期があった。
Twitterが流行り始めて間もなく、私もその流れに乗った。始めた当初から私は実名垢を貫いている。サブ垢は持っていない。思えばその頃からだ。研究会以外の学生と繋がることが増えてきたのは。SNSを介して繋がる学生が日に日に増えていく。私の講義を履修していたわけでもなく、専門も全然違う。キャンパスの何処かで直接会って話をしたこともない。それは向こうも同じ。オンラインではやりとりをしていても、実のところ私の顔をみたことがない学生がほとんど。当然『高汐非実在説』が生まれる。別名、『高汐bot説』。
そんなある年のORF、フォロワのひとりがプログラムの中に私の研究会を見つけ、ブースで声をかけてくれた。「実在した!」は瞬く間にミッドタウンのホールを駆け抜け、次から次へと写真を撮りにくる。初対面だけど初対面じゃない。オンラインからリアルへ。繋がりの変化の真っ只中にいる間隔にワクワクが止まらなかった。学生たちが管理していたシェアハウスにも招待してもらった。ご飯を食べながら色々な話をした。私がドイツに留学する際には壮行会も開いてくれた。そのとき貰ったメッセージリーフの束は、今でも私の宝物のひとつだ。単位や専門に縛られない学生との繋がりが確かにそこにあった。オンラインで始まったゆるい繋がりは今も続いている。
あれから10年、今年の秋は忙しかった。ORF2021実行委員長と未来構想キャンプ運営責任者、2つのタスクのピークがほぼ同時にやってきた。どちらも去年に続きオンラインでの開催だ。思えば1年半以上の長い間、我々はコロナ渦の中にいる。実はこの間、ずっと考えていたことがあった。
"キャンパスって何なのだろう?"
この問いに対して、教職員、学生、高校生、同窓生、捉え方はそれぞれだろう。我々の活動の原点とも言える『キャンパス』の再定義は、今年の未来構想キャンプ、そしてORFの開催テーマでもある。
秋学期になって状況も少し改善し、学生もキャンパスに戻ってきた。徐々に以前のSFCに戻りつつある実感はある。今度はリアルからオンライン、そして再びリアルへ。一方で、この1年半の間にSFCではキャンパスのマルチ(クロス)プラットフォーム化が一気に加速した。教員が研究教育活動の維持に頭を抱える中、学生たちはさっさとバーチャルキャンパスを作り上げた。θ館のモデリングを皮切りに、様々なプラットフォームでバーチャルキャンパスが次々と誕生していく。彼らは、中止になってもおかしくなかった七夕祭や様々なキャンパスイベントを、多様なプラットフォームを跨いでやってのけた。学生たちの奮闘ぶりはNHKの目に留まり、2020年夏にショートドキュメンタリー番組として放送された。ご覧になった人も多いだろう。今では、大学院修士課程の中間発表もGather.Townの中でこれまで以上にインタラクティブに行われている。自宅にサテライトラボ(うちラボ)を構築した教員、学生も多い。
それから1年と少し。今年の未来構想キャンプもオンラインでの開催となった。当日、私は高校生たちに少しでもキャンパスの雰囲気を感じ取ってもらおうと、早朝からラウンジの屋上に陣取り、朝日に輝く鴨池をバックにガイダンスに臨んだ。最初は皆、よくあるバーチャル背景だと思っていたらしい。マイクが拾う鴨の鳴き声で「リアルだ!」と気付く人が現れる。思わずニヤリとした。
未来構想キャンプも今年で11年目になる。未来構想キャンプに対する私の思いは、SFC 30周年記念サイトに寄稿しているので、そちらをご覧いただきたい。初めてのオンライン開催となった昨年の未来構想キャンプは、運営する我々も参加する高校生も、どこかお互いにギクシャクしていた。それがどうだ。今年はそんな気まずさが全くない。これが当たり前(とまでは言わないが)かのように、画面越しのワークショップが進んでいく。手伝ってくれる現役の学生たちも手慣れたものだ。そんな未来構想キャンプで、まさにこれからのキャンパスの『ありかた』を垣間見たできごとがあった。
今年からスタートした外交政策シミュレーションワークショップ。総合政策学部の鶴岡先生と神保先生が新規に企画してくれたワークショップだ。参加者は日本、米国、中国、欧州諸国など、各国・各地域の政策決定者となり、チームの仲間とともに現代の国際問題に対する政策をシミュレートする。ワークショップも佳境を迎えた午後のあるとき、巡回よろしく、同ワークショップの部屋(オンライン)を訪れた。高校生は誰もいない。鶴岡先生と神保先生の2人が所在なげにぽつんと待っている。聞くと、「今は各国・各地域とも機密性の高い議論をしているのでそれぞれの部屋から出てこない」のだそう。合点。リアルの時差や物理的距離をシミュレートするにはオンラインの方が都合いい。いつものような「教室の4隅に分かれて」では逆に現実味がない。
私自身、先の問いに対する明確な答えは持っていない。キャンパスはロジカルなもので、目的と情勢に合わせてそのときどきで姿を変え、それぞれの場所で私たちは関わりを持つのかもしれない。加藤研究科委員長はORFに向けたメッセージの中で、「確固としたキャンパス像を持っているのは学部3年生以上と我々教職員だけ。レガシーなキャンパスに戻る、戻れないと考えている時点でだめかもしれない。我々は新しいキャンパスを創っていく」と言った。私はそのタスクを一緒に背負っていきたい。
P.S. それにしても、140文字以上の散文って難しい。