おかしら日記,これで4回目の投稿になる.輪番制なのだが,意外に早く順番が回って来る印象(汗).私は幼少時から文章を書くことが苦手だったので,このような形で定期的に原稿を書いている自分がいまだにしっくりこない.理科のレポートのように,書き方の作法がある程度決まっているものは比較的スラスラ書けたが,いわゆる作文,日記,感想文の類はからっきしダメで,小学校の頃は祖母がゴーストライターだった.そもそも,「自分の考えや気持ち,生活の様子を人様に披露する必要はない」というのが子供なりの言い訳だったが,ようするに書くことが好きではなかったのだと思う(今でも決して好きではない).母は私の読書不足が原因と決めつけた.たしかに小学生の頃からテレビでばかりで読書はそっちのけ.いわゆる名作小説を読んだ記憶はほとんどない.当時,私が通っていた一貫教育校の幼稚舎では年一回"良書展示会"なるものが開催され,質の良い図書を学内で購入機会が与えられた.業を煮やした母が私に買い与えた本は「吾輩は猫である」(夏目漱石著).残念ながら,初めの一文を読んだだけで「猫の語りなどに興味ない」と言って突き返し,以後,ページを開くことはなかった.きっと母は絶望的な気持ちであっただろう.
そんな私が初めて心動かされた小説は「それから」(夏目漱石著).高校の教科書題材として載っていたもので,高等遊民を信条とする代助を軸とする男女のウエットな三角関係が,抑制の効いた透明感のある文章で綴られていた.それに加え,行間を語る皆川先生(現代国語)のエレガントな解説が私の琴線に触れ,"読解"の妙味に感銘を受けたことを覚えている.読書を拒否したのも,そして,読書に目覚めたのも,同じ夏目漱石の作品であったことは何とも不思議だが,発達途上にあった自分の感性のsusceptibilityと「それから」,そして皆川先生との出会いが塾高の授業の中で上手く一致したのだろう.今でも皆川先生には本当に感謝している.
以降,読書は私にとって比較的身近な習慣となった.漱石や太宰の作品が好きだったが,自分がこの頃からスポーツに没頭するようになったこともあって,当時まだ黎明期にあったスポーツ・ノンフィクションも好んで読んだ.その中で後世に伝えたい1冊を挙げるなら山際淳司著「スローカーブをもう一球」だ.昭和の野球ファンなら誰でも知っている「江夏の21球」を含む短編集だが,表題の「スローカーブをもう一球」をはじめ,必ずしもスター選手にあらず,しかし,心が引き込まれるドラマを持つアスリート達の勝ち負けだけではない生き様が,時に淡々,時に叙情的に語られた名著である.そのほかにも元ボクシング世界王者大橋秀行氏(現大橋ジム会長)の兄,大橋克行氏を題材とした「逃げろボクサー」など珠玉の作品を残し,1995年,残念ながら山際さんは他界された.
ところで,「スローカーブをもう一球」を私に勧めてくれたのは同級生のSだった.Sの父親と私の父親は陸軍士官学校も塾医学部も同期で,息子同士も幼稚舎からの同期という不思議な縁があった.Sは豪快な男で,諸般の事情により塾高に6年間在籍したのち,アマチュアボクシング全日本チャンピオンの実績を引っ提げて日本体育大学に進んだ.そのまま塾医学部に進んだ私とは結果的にはかなり異なった進路となったが,それでも学生時代,Sとはスポーツでも遊びでも,実に多くの時間を過ごした.中学時代の草野球から始まり,スキー,ボクシクング,麻雀,ビリヤード...今思えば無茶もやんちゃもかなりやったが,反面,Sがいなかったら随分退屈な人生だった思う.そんなSとも社会人になってからは疎遠になっていたのだが,2020東京オリンピックで彼の姿を見つけた時は絶滅危惧種に遭遇したような気分であった.女子ボクシングで日本人初の金メダルを獲得した入江聖奈選手のこと覚えている方も多いと思うが,入江選手のコーチとしてセコンドに入っていたのがなんとSだったのである.彼は現在,生業の傍,日体大ボクシング部コーチを務め,現役学生である入江選手をずっと指導して来たという.Sのこれまでの人生は決して予定調和ではなかったと想像するが,その経験を生かした指導方法で見事,頂点に導いたに違いない.入江選手の金メダル以上にSの活躍が私には嬉しかった.
今年2月,今度は自分が選手を支える立場で北京オリンピックに参加する.辿った道程は違えど,多感な時代を一緒に過ごした仲間同士が,幾星霜を経てオリンピックを共通言語に再び繋がることになったのは本当に不思議な縁を感じた.これも慶應義塾で育んだ人間(じんかん)交際の昇華形の一つなのだろう.