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2022.03.15

オリンピック,レガシー,オワコン|健康マネジメント研究科委員長 石田 浩之

3月5日(土),日吉キャンパスからKEIO SPORTS SDGsシンポジウム2022の配信を行った.

KEIO SPORTS SDGs は2020年オリンピックイヤ-を見据え,スポーツを切り口として様々なステイクホルダーが集まり,SDGsアプローチを推進する目的で発足したもので,健康マネジメント研究科,システムデザイン・マネジメント研究科,体育研究所ほか,複数の組織がかかわるキャンパス横断的な取り組みである.今回,シンポジウムのトピックの一つとしてオリンピック・パラリンピックレガシーが取り上げられた.レガシーとは"遺産".すなわち,オリンピック開催を契機として開催地にもたらされるポジティブで持続的な効果がオリンピックレガシーであり,これはSDGsのポリシーにも馴染むものである.現場実装では2012ロンドン夏季オリンピックがレガシープランを掲げた初めてのオリンピックであった.レガシーという考え方が議論されるようになった経緯としては,オリンピック開催が1回だけのお祭り騒ぎで完了し,"祭りのあと"には開催都市の借金や,維持費に苦労する箱物が残されてしまい,市民の負担となっているケースが少なくないという背景がある.つまり,負の遺産を抱え,"あとの祭り"にならないように,開催前からレガシープランを計画的に策定することが求められるわけだ.ちなみに2020東京大会が掲げたレガシープランでは"スポーツの力","健康長寿社会の実現","みんなが輝く","共生社会の実現"などがキーワードとして強調されたが,ご存知のように2020東京はレガシーよりも新型コロナウイルス対策にフォーカスした大会となってしまった.現在,同大会のレガシーについては共同発表者である政策・メディア研究科の蟹江先生,同研究室在籍SFC上席所員の佐々木さんのグループが分析中であるが,無観客判断によって国民の実体験としてオリンピックを残すことができなかったことは少なからずの影響があるだろう.

ところで,私はつい先日閉幕した2022北京冬季オリンピックにもかかわったので,幸運にも約半年間で2つのオリンピックを経験する機会を得た.東京,北京,いずれも大都市で開催された大会だが,策定されたレガシープランはかなり異なるものであった.すでに社会インフラが成熟した東京では健康,共生などソフト面でのレガシーが強調されたが,北京では冬季スポーツの拠点づくり,普及,およびそのためのインフラ整備が掲げられ,むしろ1964年の東京大会に近い印象である.たしかに,中国はスポーツ大国であるが,夏季と冬季ではかなりのギャップがあり,冬季について言えば前回の平昌大会で獲得したメダルは金1個を含む9個に過ぎない.そこで,今回の大会を契機として冬季競技の底上げを国民レベルで行おうという方針が示された.具体的には,スキー・スノーボードの競技会場となった張家口・延慶地区のリゾート開発,北京と同地区を結ぶ高速鉄道(新幹線を凌駕する最高速度を誇る自動運転車両)の敷設,北京地区におけるスケート施設の建設や改築などが国を挙げた事業として実行された.実際,過去のオリンピックと比較しても,今回の施設は素晴らしいものであった.空港からのアクセスも良いため,今後,国際大会の誘致には大いに貢献するに違いない.また,調査によれば,今回の大会を契機に冬季スポーツに参加した国民は3億4600万人にのぼり(中国の人口は14億),目標としていた3億人を大きく上回ったという.加えて,海外で活躍する中国にルーツを持つアスリートを帰化させるという戦略?はメダルだけでなく,民意の方向づけにおいても功を奏したようだ.フリースタイルスキーで複数のメダルを獲得した谷愛凌(Gu Ailing Eileen)選手は今大会のアイコンとなり,彼女の活躍に中国国民は熱狂した.少なくとも大会終了時点では,中国が思い描いたシナリオは十分に達成されたように思う.

しかし,オリンピック終了直後からレガシーの話も絵空事となる事態が発生した.現在はパラリンピックとウクライナでの戦闘が同時進行で行われているというとんでもない状況となっている."平和の祭典","スポーツは勇気と感動を与える"などのお決まりの台詞は,ウクライナから届けられるリアルな映像を前に,合理的説得力を持たない.オリンピックやスポーツはオワコン(終わったコンテンツ)という声さえ耳にする.選手たちを身近でサポートしてきた自分としては,このようなコメントを聞くと残念で仕方ない.

私の義塾の同期でオーケストラ指揮者として活躍する藤岡幸夫という男がいる(1985文).自由奔放さが魅力の男だが,私が同じことをしたらたぶん,社会的に許されないはずなのに,"芸術家"という肩書きで幸夫は容認されるという不条理を私は受け入れ,半世紀近く付き合う悪友の一人である.「自分たちクラシック音楽の演奏家はベートベンやモーツァルトほか,1700年代あるいはそれよりもっと前に活躍した人たちのおかげでいまだに飯を食べさせてもらっている.だから,感謝の気持ちを忘れてはいけない.同時に何世紀にも渡って人の心を動かす作品を自分たちは心からリスペクトしている」.こんな彼の熱弁を私は覚えている.この男,もともと口は達者なのだが,時々,いい事を言うのである.翻って,スポーツはどうだろう.近代オリンピックは1896年アテネ大会が第1回だが,古代オリンピックは紀元前から始まったとされる.競技者が速さや強さを競う姿に人々は熱狂する,この"スポーツが人の心を動かす"というルーツを振り返ってみれば,オリンピックやスポーツがそう簡単にオワコンになるはずがないと信じたい.世の中の価値観や娯楽が多様化して行く中で,コンテンツの素晴らしをどのように発信して行くかが,オワコンにしないための生命線なのだと思う.テレビで育った昭和のオヤジにとっては難しい課題だが,KEIO SPORTS SDGsで,大学院で,若い世代の知恵を借りながら一緒に考えて行きたい.

石田 浩之 健康マネジメント研究科委員長/教授 教員プロフィール