"新型コロナウイルスからのキャンパスライフ奪回"を目指し,慶應義塾は様々な準備をした上で2022年4月から対面授業復活へと舵を切った.私は業務上,複数のキャンパスに足を運ぶことが多いが,"new normal"という前提ではあるものの,どのキャンパスにも懐かしい日常と活気が戻りつつあることを日々実感している.朝,学生同士が交わす「おはよう!」という挨拶を聞いていても,"やっと会えたね!"という2年分の気持ちが込められた特別な"おはよう!"だと感じられるのは私だけではないだろう.もちろん,この2年間が絶望的な"失われた2年間"であったわけではない.COVID-19パンデミック下で,教職員も,学生も必死に知恵を絞り,多くの経験を積み,これらはコロナレガシーとして義塾に無形・有形の資産をもたらした.社会も同じである.すでに過去の話となった感はあるが,2020東京五輪では,その初期(新型コロナ前)の議論において都内の交通渋滞が大問題として挙げられた.小池都知事は対策としてテレワークを推進したものの,果たして真剣に取り組んだ企業はどのくらいあっただろうか?しかし,皮肉なもので,人の行動変容をもたらしたのは,メディアで訴える都知事の姿より,目には見えないウイルスであった.オンライン会議システムを含めた通信技術の革新は一気に加速,同時に多くの人がその便利さに気づき,オンラインでのコミュニケーションは完全に市民権を得たのである.ところが,オンライン生活が2年も続くと,オンラインならでは負の側面も表在化するようになった一方,ワクチン接種の普及やオミクロン株は重症化しにくいという特性が明らかになったことを受け,対面復活のタイミングが国レベルでも議論されるようになった.江戸時代の寺子屋から200年近く延々と続いてきた対面教育を,直近2年間のコロナ禍と技術革新を理由に遠隔に置換するなんて,そりゃ無理でしょ,という情緒的思いも私にはあった.とはいえ,感染リスクの不安が完全には払拭できない状況下で,篭った生活に2年間慣れ親しんだ者をキャンパスに戻すことは,それはそれで容易ではない(そもそも,新型コロナとは無関係に学校に来ない友人は,塾高時代から私の周りにはいくらでもいた).そのような背景もあって,研究科に新入生を迎え入れるにあたっての冒頭の挨拶では対面賛美の話をしてみた.
私は普通部時代の恩師の影響を受けて電気工作やオーディオにはまり,多くの時間を秋葉原電気街で過ごした(メイドカフェではない).部品を集めて組み上げた自作アンプ聞く音は格別なものだったが,音源はもちろんレコード.そのような中,CDが登場したのは1980年代,私が大学生の頃だった.CDはその名の通り"コンパクト".取り扱いが簡単,聞きたいトラックが即聞ける,パチパチ言わない,ひっくり返さないでいい,等々,使い勝手では全ての面でレコードを凌駕していた.この"便利さ"を理由に瞬く間にレコードはCDに駆逐されたのだが,一部の有識者や音楽家の間では"CDは音が悪い"というのが定説であった.レコードはアナログ信号,CDはデジタル信号であることはご存知の通りだが,アナログからデジタルへの変換(AD変換)は連続波であるアナログ信号の1秒を44100回に分割(サンプリング)し,音の高さ(周波数帯)と大きさ(ダイナミックレンジ)を0と1の信号に置き換える(これがソニー&フィリップスが考案したCD規格).人間の耳の可聴域は20Hzから20,000Hzであり,これを考慮してこの規格が決まったとされるが,それゆえ,CDではこの可聴域に入らない音はほとんど切り捨てられることになった.また,44100回サンプリングしても可聴域内で欠落するデータは出てくるので,CDにはアナログ情報が完全にコピペされているわけではない.ならば,サンプリングの回数をもっと増やせば良いという意見もあろうが,サンプリング回数を増やすとデータが重くなってCD1枚に入り切らなくなるというトレードオフが起きる.つまりこれがCDの限界なのだ.ちなみに今や主流となっているネットオーディオ(圧縮オーディオ)はさらに欠落データが多いので,私にはスカスカの音にしか聞こえない.
さて,ここへ来て,レコード復活の兆しが見られている.単なるレトロブームではなく,レコードを知らない世代があらためてレコードを聞いて,その音の良さを再認識したようだ.レコードから発せられる空気感や熱量がCDにはない魅力という.話がそれてしまったが,私が強調したいことは,便利さを優先して切り捨ててしまったものの中に,実は切り捨ててはいけない大切な情報が含まれているということ,そして,ヒトは意外にも,この大切な情報をしっかりと見分け,聞き分け,感じる能力に優れた動物であったということである.必ずしもコロナ禍が沈静化していないタイミングで,多くの企業や教育機関が対面復活に舵を切ったことは,このことに気づいた結果ではないだろうか.授業に限らず,画面越しやテキストで伝えられる情報には限界があり,時に正しい形で伝わらないことをこの2年間でしばしば経験してきた.研究科が大切にする"多事争論"を支えるのは人と人のつながり=人間関係であり,これをオンライン環境で熟成できるとは私には到底思えない.「是非,キャンパスで会いましょう」.研究科委員長から新入生に伝えた最初のメッセージである.