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2022.06.21

一枚の写真|総合政策学部長 加茂 具樹

手元に一枚の写真がある。二〇一八年一月二十六日に撮影した。

当時、私は香港にいた。二〇一六年十月に外務省へ転籍した私は、在香港日本国総領事館の領事として香港に赴任した。ここで二年間、中国内政と外交の動向を分析する仕事に従事していた。写真は、香港に学部の同僚たちが訪ねて来てくれたときのものだ。

私の仕事はとにかく人と会うことだった。中国政治外交を研究してきた私にとって最高の環境だった。が、同時に挑戦でもあった。街全体が中国専門家の香港において、話し相手の情報量は私より圧倒的に多い。分析の枠組みが勝負になる。何を話し、何を聞くか。達成感を感じることもあったし、やり込められて悔しいこともあった。

別の問題もあった。専門領域から距離のある問いにどう答えるのか、だ。議論は中国政治からはじまるが、そのうちに中国経済や国際経済へ展開し、日米関係、中国を向き合う日本の外交、そして日本の政治、社会問題に着地する。

もちろん答えることはできるが、それが隔靴掻痒なものになることもある。いつのことだったか忘れてしまったが、私は、同僚の土屋大洋教授と中山俊宏教授に愚痴をこぼし、ワークショップをセットするから話をしてくれないかとお願いした。

そうしたら土屋、中山両教授が三人の仲間とともに本当にやってきた。

ある歴史のあるサロンで、土屋教授が司会を、中山教授と鶴岡路人准教授が演者を引き受けてくれた。会場はすし詰めだった。定例会合の三-四倍の人が部屋にいた。会がはじまると全員の目と耳が二人の話にぐっと集まっていた。香港で日米関係と日欧関係を専門に話す人はいない。香港で日本を介して米欧が繋がる。この熱気は、香港そしてアジア諸国の日本に対する関心の高さと期待の強さでもあった。来場者も私も興奮した。

なによりも私は、このチームワークに心打たれた。海外で日本を説明することは難しい。苦闘していた私が愚痴ったら、仲間が来てくれた。まるでバスに乗って来る感じで。そして最後は美味しい中華料理を食べて、それぞれの次の目的地にさっと飛び立っていった。ちなみに中山教授は、辛い料理が苦手だった。みんなで四川料理を食べに行ったら、実は・・・、と中山さんが言う。あわてて焼排骨だったか東坡肉を注文した記憶がある。

写真には、このサロンが終わった直後、会場を出てきた同僚達が写っている。写真は私が撮影した。The Foreign Correspondents Clubの階段で中山教授を囲んでいる。古谷知之教授も大前学教授も写っている。みんな笑顔で、そして少し高揚している。

この写真を見る度にこう思う。「ああ、私はこういうチームで仕事がしたかったのだ」と。これが湘南藤沢キャンパスのファカルティーの姿であるし、これを大切にしたいと思って、私は学部長という役を務めようと決意した。私は単純かもしれない。でも、それで良いと思う。

私は香港で多くのことを学んだ。「秩序は流動する」という感性もその一つだ。

二〇〇一年四月から二年間、私は、在香港日本国総領事館の専門調査員を務めていた。その十五年後に再び香港に来た。香港は大きく変わっていた。勤務した二年の間にも香港は変化した。そして私が任期を終えて帰国してから、その変化はさらに加速した。

いま私たちが享受している秩序を維持したいのであれば、それを支える努力を怠ってはいけない。ただし、それは一人ではできない。価値観と目的意識を共有した仲間が必要だ。そんなことを考えるとき、決まってこの写真を思い出す。

加茂 具樹 総合政策学部長/教授 教員プロフィール